PNC会員へ・・・

会員のみなさま 919                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月23日(土)、現在は朝の7時です。

 

 今日は昨日までのポカポカ陽気から一転して”寒の戻り”と言われるような

寒い朝を迎えています。大体、桜が開花した直後の何日かはこのような膚寒い

日が続くものです。それでも今年はどうも寒いのは今日だけで、来週末のお花見

のピークは間違いなくやって来そうです。

 当方、今日は予定なしの休日にして明日は墓参りというか墓掃除に行くつもりです。

もちろんお彼岸の交通渋滞なら途中で引き返しますが。

 

 昨日は予想された通りテレビは”イチロー”一色でした。法廷から帰社後チョイと

休憩室でテレビを見たら永延とイチローだけやっていました。他のニュース(大事な)

は無いのかよ!!!と言いたくなります。

 当方ほぼ見ない”大相撲”は相変わらずモンゴール勢だけが上位を占め、貴景勝

はどうしたの???・・・という質問すら憚られる様子です。

 スポーツは野球・テニス・ゴルフ・フィギアスケートそして相撲まで日本土人の活躍

場面はほゞ見られません。競馬まで勝利騎手は圧倒的に外国人だらけとなっています。

これだけ弱い土人国だからこそ、偶に買ったり優勝したりする、たとえば相撲では

稀勢の里”とか”貴景勝”、テニスの”大坂なおみ”、フィギアの”羽生・宇野・紀平”

あたりに期待がかかり過ぎて行きます。結局、土人土人を期待倒れにし尽くして

いるだけの最低の環境作成土人国家としか言いようがないと結論付けます!?!

 

 当方、本来なら定年退職後の”毎日が日曜日”を満喫(?)している毎日のはずだった

のが、派遣会社経由で再就職した結果、超忙しい思いをする羽目になっています。

何しろ、派遣元と派遣先という二つの会社に入社したようなものだからです。

やれ、健康保険と保険証がどうの?出勤簿や交通費請求の仕方がどうの・・・と、

ややこしい作業が山のようにあります。昨日も派遣会社から新しい保険証と高齢

受給者証が届きました。これは70歳から74歳までの期間を自己負担2割という

証明書のようなものです。今のところ制度改悪が無ければ75歳以上は1割負担の

予定ですが、解りませんよ!?!団塊の世代が大量に75歳になりみんなが1割

負担となったら国の財政がひっ迫すること必定だからです。

 そんなわけで、まだまだやらねばならないことが多くありそうな反”毎日が日曜日”

の毎日です。

 

 昨日は当方が帰宅後の8時ごろ、海浜幕張と検見川浜の間の線路に人が立ち入った

とのことで電車が止まったようです。海浜幕張は当方らの会社員も多いですが、他に

メッセやマリーンスタジアム・イオンモールとかが沢山あり訳の分からない人種の人々が

数多来るので怖いところです。当方の仕事はなるべく直行・直帰の遠方への出廷ばかり

にしてほしいものです。

 

 本日はつまらない愚痴だけのPNCになってしまいました。明日もそうかな???

と言いながらニーチェと量子物理学は勉強しましょう!

 

 

 

ニーチェ

 

 

 

二十二 キリスト教は、野蛮人を支配するために、野蛮な概念や価値を必要とした。仏教は、老成の人間たちにとっての、苦悩をあまりにもやすやすと感受するところの、善良な、温和な、きわめてしまった種族にとっての宗教である。仏教は、このような人間たちを平和と快活とへ連れ戻して、精神的なものにおいては摂生を、肉体的なものもにおいては或る種の鍛錬をほどこしかえすのである。キリスト教は猛獣を支配しようとねがうか、その手段は、それを病弱ならしめりことである。仏教は文明の終結と倦怠にとっての宗教であるが、キリスト教はいまだ文明を眼前にすらしておらず、― 事情によってはその基礎となる。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 愛は、我々の人生にとっては、一人の支配神である。ある時は厳しく、ある時は慈悲深いが、我々に屈することは決してなく、絶対に我々の目的に仕えようとはしない。人は、霊的にも物質的にも、愛を何とかして服従させようとし、自らの目的に従わせようとする。しかし愛は何物にも従属することはあり得ず、神さえも自らの目的に従わせようとする取るに足りない死すべき者たちに容赦なき復讐を浴びせる。愛はすべての計算を狂わせ、予想もしなかったことをさせる。愛は人間に奉仕することを命じ、人に自らの欲するところをなさせようとする。

 愛の中で最も重要な要素は、存在しないところのものであり、普段の日常的な物質的観点からはまったく存在しないものである。

 この存在しないところのものを感じること、そして、奇跡の世界(真の実在世界)との間に成し遂げられた接触の中に、人間生活における愛の意味の核心がある。

 大きな喜びや大きな苦しみなどの非常に緊迫した体験の瞬間には、周囲のあらゆるものが非現実的な夢のようなものに見えるというのはよく知られた心理学的事実である。これは魂の目覚めの始まりである。夢の中で、自分が眠っており、自分の見ているものが夢であることに気づいたとき、人は目覚める。魂も同じように、目に見えるすべての生活が夢でしかないということに気づいたとき、目覚めに近づいている。そして、体験がより強力で、より生々しいほど、人生が非現実的であるという意識は早く訪れるであろう。