■
PNC会員へ・・・
会員のみなさま 983 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年8月11日(日)、現在は朝の7時20分です。
本日は本年度から新たに設定された祝日である”山の日”ですが、日曜日なので
明日が振り替え休日となります。大馬鹿政権の大馬鹿政策はこのような小手先の
まやかしばかりを連発し、本当の国民が要求していることは絶対に行いません。
祝祭日などゼロでも良いから、盆暮れに大型連休(合計で1か月ぐらい)を賦すぐらい
の思い切った政策を取って見ろと言いたいです。
一般的には今週のお盆休みが夏休みとなり13日から16日の平日を休む人が
多いと思います。それが今年は台風10号襲来となりそうで、行楽は難しそうです。
気温も相変わらず高く都心でもずっと33℃から36℃ぐらいを予想しています。
今年は遠出はせず、近郊のプールあたりで遊んでおいた方がベターかもしれません。
今年は梅雨明けが遅くて日照時間不足とか何とかほざいていましたが、夏野菜は
そこそこ上出来で、トマト・きゅうり・枝豆を始め値段も安く結構美味しかったです。
美味しかったというのには訳があります。当家近郊・近在の露地もの野菜の農家直営
店はほぼ全部夏の販売は終了しました。もう冬までおやすみです・・・と、言われました。
夏野菜に変ってお盆直前から出回るのは梨です。我が家界隈は全国一の梨の名産地です。
取りあえず、”幸水”から販売はスタートしました。早速戴きましたがけっこう甘くて美味しかった
です。梨は当家ではこの”幸水”以外は食べません。これが絶対的に一番だからです。
後たったの2日間とまで来てしまった連休も結局少し高価な食事は無く、勿論何処にも
行かずに、終了しそうです。昨日は中山競馬場のラーメン、今日はサフランの調理パン
にして、明日は仙台在住の息子が一に日だけ帰郷する予定なので、家で7割更級蕎麦
のとろろそば食べ放題で終わらせる予定です。その後の普通の人のお盆休みから当方
の仕事はずっと本格化します。当面休み無しという事です!!!
昨日は中山競馬場に30分ぐらい居てすぐ帰宅、午後から夜にかけては映画鑑賞で
終始しました。この日は数多ある名作の中から何度観ても厭きないものから”バック・トゥー
ザ・ヒューチャー”、”ジョーズ”を堪能しました。これらの映画はもう10回以上観ている
はずですが、初めて観るシーンが必ずあります。大体、平均2時間ぐらいの作品で10回以上
観ても忘れたかマジに観ていないかの現象は本当に不思議です!?!この現象はどの映画
でもそうです。ましてや2度目か3度目位の名作ではもうほぼ初見と変わらないぐらいになります。
人間の持つ集中力の限界なのでしょうか、たったの2時間でも完璧に観倒すことは不可能の
ようです。先の2作品以外ではメル・ギブソンの”復讐走査線”(4回目)、リーマンショックを模した
”マージン・コール”(3回目)、”ヤング・シャーロック・ピラミッドの謎”(7回目ぐらい)を適当に
観賞し倒しました。
因みに競馬ですが、2Rだけ1000円づつ買いましたがかすりもせず惨敗でした。
やはり競馬ですね!?!穴馬券が当たる確率は数百倍になるのでしょうから仕方ありませんが。
3連単でちょっとした高配当(10万円から30万円ぐらい)が出ると、その馬券は500番人気とか
です。やっぱり当たる方が不思議なくらいですね!?!それでも超インチキの”宝くじ”よりは
ずっとましなのがこの競馬をはじめとする公営ギャンブルです。レースがインチキだろうが何だろうが、
25%の国税を払えば遊べるだけまだマシです。宝くじは全部(ほぼ)が国庫に入ります(手先となって
動いている輩やみずほ銀はおこぼれがだいぶあるはず(?)ですが。こんなミエミエの大悪政府に
加担する宝くじは絶対に買ってはいけません!!!もう一つ、言いずらいですが、株も同様です。
ギャンブル的株式売買など本当は絶対やってはいけないものです。一般人はトータルすると
絶対に儲からないようにシステム化されています。
昨日の午後には予定通りに生保レディをやっている従妹が来ました。メインはこの1年間の
任意自動車保険の契約ですが、その中の面談してお話をする、ちょっとした質問に答えるのが
本年度から高齢者(70歳以上)が保険に加入する条件となったからです。簡単なもんですが、
高齢者の自動車事故の多発はこのままいくと相当厳しくなること必至です。AIの劇的進歩で
誰でも運転が可能となる日が先か、事故多発で70歳以上は運転不可が先か微妙な問題と
なりそうです。
連休続きでPNCに書く予定のネタ記事は沢山用意しましたが、結局、ほとんど書かないで
連休は終わりそうです。今日も普通にニーチェと量子物理学だけにしておきます。
明日は少しネタ照会をする予定です。
要するに私は、一時期の間、学者でもなければならなかったのだ。――
人間的な、あまりに人間的なもの
および二つの続編
一 『人間的な、あまりに人間的なもの』は一つの危機の記念碑である。この本は自由な精神を持つ人々のための一書と自称している。私はこの本で、私の性質の中にあるしっくりしないものから私自身を開放してしまったのである。私にしっくりしないのは家の理想主義だ。・・・君たちよりも私の方が人間をよく知っている・・・この本に見える『自由精神』という語は、自分自身を再びわがものとした自由になった精神という意味以外のいかなる意味にも解されては困る。この本は実はヴォルテールの没後百年を記念して書かれたのだということである
量子物理学
進化あるいは修練
宇宙意識が出現し、発達する可能性はごく少数の者にのみ属する。
宇宙意識が現される人間を区別する徴はまったく研究されていない。
これらの徴の最初のものは、「世界は見えるとおりのものではない」という感覚が絶えず頻繁に生じることであり、普通重要だとされえいることは決して最も重要なことではないという感覚である。この感覚に引き続いて、世界とそのあらゆる関係性が非現実的であるという感覚が生じ、「奇跡」だけが唯一の現実的で真実のものであると考え、それに向かって努力するようになる。
最も高度な表現において、芸術は宇宙意識への道である。
宇宙意識が現れるためには、全体としての人間の重心が、自己意識の中に有って「外的」感覚にないことが必要なのである。
宇宙意識の出現のためには非常に高度な段階の自由と、内的世界への集中が必要である。
動物がどんなに修練しても人間の言語を話せるようにはならない。宇宙意識が出現する可能性は人工的に接ぎ木できるようなものではない。人間はそれを持って生まれるか持たないで生まれることはできない。
すべての人が真実と虚偽を見分けることができるわけではない。しかしその可能性を持つ人ですら自由な贈り物としてそれを与えられるわけでない。それを得るには多大な労苦とワーク、思考と感情両方における大胆さが必要である。