PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1040                    後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年12月28日(土)、現在は朝の7時半です。
 
 本日から一般的には年末年始のお休みが始まります。今年は今日から1月5日まで
の9日間がお休みとなる人が多いと思われます。当方には縁がない海外旅行とかに
行くサラリーマン諸氏は今日あたりから成田を出発するのでしょうね!?!昨日、
東京駅界隈をぶらっと散策しましたが、JR高速バスの出発地点とか各新幹線乗り場は
人だかりとなって完全に年末特有の帰省がスタートしたのだなあと思わせられました!
 
 休みがスタートした初日の今日は抜けるような青空の好天となっています。好天ですから
結構寒いです。当方、本日は露地もの販売八百屋→墓参り→すし松→上新電機→GS→
・・・と、回る予定です。
 
 昨日の早稲田”穴八幡宮”は当方の予想は外れ到着した9時半の時点ではまだ空いて
いました。行列などは無く、お札や御守りは待たずに購入できました。早すぎたので
早稲田大学の大隈講堂や重信像、学舎、それに当方、若き日の証券マン時代に多くの
お世話を架けた当時は大隈商店会の会長をしていたさかえや(佐藤さん)さんの自宅前を
通ったりして時間を過ごしました。早稲田駅近くの本屋さんへはもちろん寄り、文庫本を
2冊購入、先日368冊を処分したばかりなので、また増やすと女房から大目玉を食らい
そうなので少なく購入しておきました。
 この日の散策コースはまず穴八幡中心の早稲田界隈をスタートして、東西線日本橋まで
戻り、お昼までには時間があるので、コレド日本橋店内の”上島コーヒー”で濃いめのブレンド
を一杯飲んで時間を潰して、本日のメインである日本橋”小洞天”へ向かいました。小洞天
では当方定番の天津飯と焼売4個を戴きました。この焼売の持ち帰りは今までは出来なかった
(?)のか、本日店内の広告では持ち帰りの宣伝をして”一押し”のような感覚となっていました。
ここの焼売は美味いです。次回からお持ち帰りをするようにします。
 小洞天に入る前に大通りの反対側に長崎のアンテナショップが出来ているのを見つけていた
ので、食後に入ってみました。長崎名産物は高価な商品が多く、カラスミあたりは手が出ません。
当方はイカのさつま揚げを一つ300円台だったので購入、これだけしか買いませんでした。
次には銀座方向に向かい、洋書の丸善に超久々に寄ってみました。ここは場所柄、多くの
本の種類はビジネス書が主流です。早稲田は哲学系が主力ですので”処変われば品変わる”
典型的な本屋状況でした。この後、東京駅に向かいますが、日本橋から東京駅への地域は
昼はサラリーマンの昼めし、夜は飲んべの居酒屋街となる場所です。12時という時間帯から
どの店もサラリーマンやOLの行列です。この後、向かった東京駅のラーメンショップ街同様、
サラリーマンの多くはラーメンが好きですね!それも大行列を作っているラーメン店の殆んどは
豚骨系です。当方は絶対に並びません。豚骨はご勘弁です。東京駅ではどこに行こうかと迷って
しまいます。当方、東京駅と言えば駅弁売り場しか散策しませんが、この日は気分転換で
東京駅を出て、銀座方面に向かいました。当方、昔の職場があった銀座3丁目界隈の”伊東屋
でトイレを借り、お礼に安い80円台で買える蛍光ペンを1本購入、トイレ代としました。
・・・と、言う事でこの日の年末最後の都心散策は終了しました。また、1年後に伺えるかどうか?
運次第でしょうか!?!
 
 話はガラッと変わりますが、当方の12連休開始日の26日には午後に近場の温泉”笑顔の湯”
へ行き、ボディマッサージに罹りました。40分間ですが、流石に引退したフットマッサージ師
一押しのマッサージ師です。力も強くツボをズバリ押して来ます。これなら40分で4000円弱
は安いものです。本日の競馬が取れたら、次回は20分フットマッサージ&40分ボディマッサージ
の60分コースにするつもりです。昨日は大分歩きましたが、明日以降の天気次第では近場の
じゅん菜池2週コースに挑戦するつもりです。10日間動かないと身体によくないですから。
 
 今日はこれからけっこう忙しいのでここまでにしておきます。何しろ毎日ですので疲れます。
量子物理学は行きます。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
 しかし、限られた人間の知性に可能な、無限という観念についてのこうした弱々しく相対的な理解でさえ、正しい線に沿って発展するならば、「この絶望的に動かない陰鬱な怪物」を打ち壊すことができる。
 この世界は無限の可能性を持つ世界である。
 我々の頭脳は常にただ一つの方向に沿ってしか可能性を辿ることができない。しかし実際にはあらゆる瞬間が膨大な可能性を含んでいる。そしてそのすべてが実現化されている。我々がそれを見ないし、知らないだけである。我々は常にただ一つの実現化しか見ない。ここに人間の頭脳の貧しさと限界がある。
 
〈低次のもの〉は全体の制限された概念でしかなく、〈高次のもの〉はより広くより制限のない概念である。意識との関係では、〈高次〉と〈低次〉の問題は次のようになる。低次の意識は全体の制限された自己意識であり、高次の意識は完全な自己意識である、と。
 
 お前たちは虫けらから人間になった。しかしお前たちの中には虫けらのものがいまだに多くある。かつてお前たちは猿であった。そして今でも人間の中にはどんな猿よりも猿のものが多くある。〈ツァラトストラかく語りき〉