PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1122                 後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年5月16日(土)、現在は朝の7時15分です。
 
 今日は一日中雨模様で気温も低く、ウォーキングは不可でスーパー等への買い物も
控える予定です。朝は一転して好天の1日となりそうですが、その後は台風の影響もあり
ずっと雨マークが続きます。
 当方の5月内での就業(出社)は来週の火曜日と金曜日、再来週の金曜日の3日間だけ
です。昨日、政府大馬鹿は緊急事態宣言を39県に限り解除しました。我が千葉県を含む
主要都市8都道府県は今月いっぱいは解除なしで6月1日以降となるようです。
 一応、当方の務める会社でも来月からは出社優先となりそうです。それでも当方主力の
仕事である口頭弁論出廷は6月の半ばあたりに再開されそうで、徐々に増えていくでしょうが、
当面はジャブ程度のスタートとなる事は必至です。本格的な出廷はやはり7月以降となりそうです。
 そこまで当方がここにいるかどうかは???です。
 
 連日コロナ禍関連のニュースばかりが報道されます。昨日は緊急事態宣言解除の件に続き、
コロナ倒産とも言うべき大会社の実質倒産が発表されました。懐かしい名前(?)の”レナウン
です。コロナ禍では初の第一部上場企業の倒産→民事再生開始決定です。数か月前から
アパレル関係の衰退は報道されていましたが、まさか”レナウン”が倒産第一号になるとは思って
いませんでした。新参のユニクロなどに押された結果もあるのでしょうが、やはり時代にそぐわない
業態継続は不可だったのですね。”レナウン”と言えば小林亜星作曲で有名な”わんさか娘”とか
レナウン・イエ・イエ”が楽曲とともに一世を風靡しました。男性向きでは例のアラン・ドロン
起用したCMが有名です。フランス語で”ダーバン・セ・レレガーンス・ドゥ・ロム・モデルム”が
正しいようです。前にも書きましたが、証券会社時代の後輩の解釋(フランス語の)によると、
その意味は”僕、レナウンアラン・ドロンです。ダーバンは洋服のホームラン王です”・・・と、
訳すそうです。 もちろんそれは戯言です。実際の意味は《ダーバンは現代を生きる男のエレガンス
です》が本当です。
 アパレル業界から第2第3のレナウンが出るかどうか心配ですね。
 
 当方、昨日の就業は午前中だけの3時間で帰宅しました。絶対に熟さねばならない仕事も無く、
ガラガラの職場に1日中居る意味も無いので早退気味に帰宅の途に着きました。帰路に
東松戸駅構内の”きらく”で春菊天玉蕎麦を食し、地元の矢切駅前の”1000円床屋”に寄って帰宅
しました。平日の昼過ぎあたりでもここはけっこう混んでいます。珍しいというか初めて見ましたが、
やや高齢(当方よりは少し下か?)の女性が2人が散髪に来ていたことです。我が女房殿も実は
行きつけの美容院が開いているのか、ちゃんと怖くなくヘアカットが出来るのか(?)不透明なので
ずっとカットをしていません。当方はコロナ禍何ものか…位の気合でカットにしてもらいました。
何時もなら散髪後は必ず行く”笑顔の湯”はパスです。もう4月13日を最後に行っていません。
しかし、この矢切駅前の《笑がおの湯》はしぶといですね。近在のスーパー銭湯2件が閉店して
いるのにここは結局営業し通した気がします。当方的には6月の半ばあたりに温浴・サウナを
再開する予定でいますが、当面は不可です。
 
 それにしても、一昨日に家の庭の前面を覆うように生えてうっとおしいくらい多くなった
ドウダンツツジ”をカットしました。当方やった事のない肉体労働の性か(?)手足に筋肉痛が
発生、本当にやや付きの軽い熱中症気味となっている所へ、出勤のマスク着用励行はきつい
ものがありました。コロナには関係ない熱中症の症状若干有りなので早退させてもらった次第です。
 来週の火曜日も冴えなかったら休むか早退します。6月以降も継続して従事するならもう
連日のように休むわけには行きそうにないので今のうちにたっぷり休んでおきます。
 
 連戦連敗の競馬ですが、今日明日で討死にしそうですが、今日の”京王杯スプリングC”と
明日の”G1ヴィクトリアマイル”だけは買います。ここでダメだったらオークスとか日本ダービー
原資枯渇でやれなくなりますので、今日明日はやや真剣です!?!
 
 それでは本日はここまでにして、量子物理学は勉強しましょう!
 
 
 量子物理学
 
 
どんな構造であっても、過度な複雑さは常に何かが抜け落ちたか、何かが最初から間違って受け取られたかの結果である。
 時間の三次元は空間次元の継続、つまり空間の「四次元」、「五次元」、「六次元」とみなすことができる。「六次元空間」は疑いなく「ユークリッド的連続体」であるが、その特性と形態はまったく我々の理解を超えている。肉体の六次元的形態は我々には知覚できず、それを我々の感覚で理解するなら、疑いなく三次元的なものとして感じることだろう。三次元性は我々の感覚の機能なのである。時間は我々の感覚の境界線である。六次元空間は実在であり、ありのままの世界である。このリアリティーを我々はただ感覚、触覚、視覚というスリット(隙間)を通してしか知覚せず、それを三次元空間と定義し、ユークリッド的特性を与えているのである。すべての六次元体は我々にとっては「時間の中に存在する」三次元体であり、五次元と六次元の特性は我々には知覚できないままであり続ける。
 六次元は一つの「周期」を構成し、それを超えたところでは同じ周期が異なったスケールで繰り返されるだけである。次元の周期の一方の端は点であり、もう一方の端は無限の空間に無限の時間を乗じたものである。それは古代の象徴主義では二つの交差する三角形、あるいは六芒星として表されていた。