PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1477                      後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年8月16日(月)、現在は朝の7時ジャストです。
 
 本年のお盆も今日で終了、我が市川界隈に住んでいるとお盆のお送り日あたりとは
まったく無縁です。当方でも32年前の大阪単身赴任時に一度だけ京都の五山の
送り火を見に行ったことがあったぐらいです。暑くて人だらけで超混雑した京都の
街をぶらぶら見学して地下鉄でアパートに帰った記憶があります。
どうしてもお盆というと、暑い思い出ばかりですが、今年のこの時期としての寒さには
逆に並行しますね!低温と豪雨は今日・明日はまだ継続するようですので気を付け
たいところです。明後日の18日以降の週間予報を覗くと全部晴れマークです。
またぞろ暑い真夏到来となるのでしょうか!?!
 
 コロナ感染ですが、昨日の日曜日でも結構多いですね。都で4295人、全国では
17832人と出ています。大阪が1764人、兵庫では517人、京都414人、福岡で
681人と多いですね。愛知が609人、静岡354人、近在では神奈川が2081人、
埼玉は1773人と出て千葉でも1374人です。沖縄は661人、北海道でも366人と
出ています。このほかの地域でも100人以上はけっこうあります。まだまだ収束には
時間が罹るという事でしょうね。8月14日現在の重症患者数も1563人と最多更新です。
 親戚筋や友人関係での感染者の状況もひと頃と比べるとだいぶ多くなって来たようです。
老齢や重篤な病で入院中の人は別にして、コロナ検査陽性による自宅療養中・・・という人も
増加中です。それに比較的若い人の感染で結構重篤になっているケースも多いようです。
高熱や全身の痛み等で寝たきりという状態は厳しいものです。しかもそれが安心感のある
入院先(大病院)でなら良いのですが、自宅療養ではもう治りようもなさそうです。
 
 
 本日も植草氏の記事を付けます。
 
 
 
植草一秀の『知られざる真実』」
 
                             2021/08/15
 
           日本がいまも戦前を引きずる理由
 
               第3006号
8月15日は天皇が日本敗戦を国民に知らせた日。
 
敗戦広報の日=ポツダム宣言(降伏要求)受諾広報の日である。
 
終戦」と「敗戦」では言葉の意味が大きく異なる。
 
日本が降伏したから戦勝国が戦争を終わりにしてくれただけのこと。
 
日本が戦争を終わらせたのではない。
 
しかも、戦争が終結したのは8月15日でない。
 
1945年9月2日に東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において、日
本の降伏文書(日本と連合国との間の停戦協定(休戦協定))が調印され、即
日発効した。
 
9月2日が敗戦の日であり、終戦の日
 
日本政府は無謀な戦争に突き進み、内外に甚大な犠牲を生み出して敗北した。
 
敗戦の決断が早ければ犠牲を若干でも少なくすることは可能だった。
 
戦争責任は計り知れない。
 
戦争責任を明確にするためにも「終戦の日」ではなく「敗戦の日」の表現を用
いる必要がある。
 
結果に対する責任を明確にせず、あいまいにしてきたことが今日の日本の惨状
をもたらす重要な原因になっている。
 
日本政府は日ソ中立条約の締結国であるソ連に和平講和の仲介を託していた
が、8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月8日のソ連対日宣戦布告、8月
9日の長崎市への原子爆弾投下という事態に直面して、ポツダム宣言の受諾を
決定した。
 
日本政府は8月10日にポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて
通告。
 
日本政府は同時に中立国を通じて「国体(天皇制)の変更を伴わないかどう
か」を連合国側に確認した。
 
しかし、その確答を得られぬまま、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾
を正式に決定した。
 
1945年8月15日正午、前日に公布された「大東亜戦争終結詔書」を昭
天皇が朗読したレコードがラジオ放送された。
 
これが「玉音放送」。
 
天皇による敗戦広報である。
 
この放送で国民と陸海軍に「ポツダム宣言の受諾」と「軍の降伏の決定」が伝
えられた。
 
ポツダム宣言とはイギリスのチャーチル首相、中華民国の?介石国民政府主
席、米国のトルーマン大統領の共同声明として1945年7月26日に発表さ
れたもの。
 
全13箇条から成る「日本への降伏要求の最終宣言」。
 
ドイツ降伏後の1945年7月17日から8月2日にかけて、ベルリン郊外ポ
ツダムにおいて、英国、米国、ソ連の3ヵ国首脳が第二次世界大戦の戦後処理
について話し合った。
 
これが「ポツダム会談」。
 
宣言文の大部分はアメリカによって作成され、イギリスが若干の修正を行なっ
た。
 
署名は米国のトルーマン大統領が自身を含めて3人分行った。
 
中華民国の?介石の了承は無線で得た。
 
ソ連は事後に追認。
 
ポツダム宣言」には以下の内容等が盛り込まれた。
 
合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を
代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致。
 
3ヵ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。
 
この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切
の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。
 
世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適
用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すよう
に、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
 
日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を
引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来した。
 
日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。
 
無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまで、平和と安全と正義の新秩序も現
れ得ないからだ。
 
新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時まで、我々の指示
する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべ
きものとする。
 
カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、
九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 
日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。
 
日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求
める。
 
日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政
府が十分に保障することを求める。
 
ポツダム宣言は7月26日に発表されたが日本政府のポツダム宣言受諾は遅れ
た。
 
そのために広島と長崎に原爆が投下された。
 
原爆が投下され日本政府がポツダム宣言受諾を決定した。
 
この時系列推移は事実であり、極めて重い。
 
日本政府は1945年8月10日に、「天皇統治の大権を変更する」要求が含
まれていないという了解の下にポツダム宣言を受諾することを駐スイスおよび
スウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告。
 
しかし、その確答を得られぬまま、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾
を正式に決定した。
 
そのことを伝える天皇による詔書朗読のレコードが翌8月15日に「玉音放
送」として国民に公表された。
 
日本がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したのは9月2日。
 
したがって、日本敗戦の日は9月2日。
 
9月2日を「敗戦の日」として取り扱うのが適正だ。
 
8月15日は「ポツダム宣言受諾広報の日」=「日本降伏発表の日」に過ぎな
い。
8月15日を「終戦の日」とすることは、天皇が8月15日に戦争を終結させ
たとの誤解を生みだす原因になる。
 
8月15日は日本政府によるポツダム宣言受諾を広報した日に過ぎない。
 
日本政府が日本軍無条件降伏を国民に発表した日である。
 
ポツダム宣言受諾が遅れて広島、長崎に原爆が投下された事実は重く、「遅き
に失したポツダム宣言受諾を広報した日」という重要事実を広く国民に周知す
ることが重要だ。
 
日本政府は日ソ中立条約の締結国であるソ連に和平講和の仲介を託していた
が、8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月8日のソ連対日宣戦布告、8月
9日の長崎市への原子爆弾投下という事態に直面して、ポツダム宣言の受諾を
決定した。
 
連合国側は9月2日ないし3日を対日戦勝記念日としている。
 
日本政府は無謀な戦争に突入し、内外に多くの犠牲者を生んだ。
 
多くの国民が兵隊として駆り出され、かけがえのない命が失われた。
 
非戦闘員である市民も戦争に巻き込まれて、多大な犠牲を強いられた。
 
無謀な戦争に突入して甚大な被害をもたらした戦争責任があいまいに処理され
たまま現在につながっている。
 
戦犯容疑者は連合軍によって逮捕、拘束されたが、一部の戦争責任者は米国の
対日支配戦略の一環として免責された。
 
その免責された戦争責任者が敗戦後日本において、米国の指揮の下で日本の指
導層に復帰。
 
これが敗戦後日本の歪みの主因になっている。
 
最重要の事項は米国の対日占領政策が1947年を境に激変したこと。
 
いわゆる「逆コース」である。
 
GHQの主導権がGS(民政局)からG2(参謀2部)に移行した。
 
背景に米国の外交基本戦略の転換があった。
 
トルーマンドクトリンによる「ソ連封じ込め」が米国外交戦略の中核に置き換
えられた。
 
日本における「逆コース」が劇的転換を示さなかったのは、トルーマン大統領
マッカーサーGHQ最高司令官が対立していたためだ。
 
この結果、日本における「逆コース」は時間をかけた漸進的なものになった。
 
しかしながら、「逆コース」は日本民主化を抑制し、戦争責任者の復活を許す
という重大な弊害を伴うものになった。
 
1945年から1947年にかけての戦後民主化の輝かしい歴史のレガシー=
遺産が「日本国憲法」。
 
日本国憲法は1947年5月に施行された。
 
憲法制定が半年遅れていたら、日本国憲法は重大に毀損されていただろう。
 
逆コースで巨大な利得を握ったのが自民党
 
その自民党日本国憲法を敵視し、日本国憲法の破壊を目指していることは極
めて順当だ。
 
自民党憲法改定案は日本国憲法
 
国民主権
 
平和主義
 
基本的人権尊重
 
を毀損し、立憲主義を毀損するもの。
 
自民党改憲案の逆行性を私たち日本国民は正確に理解しなければならない。
 
この「戦後史の正体」を正確に知ることが極めて重要。
 
8月15日が「日本軍無条件降伏発表の日」であり、9月2日が「日本敗戦の
日」であることをすべての国民に周知させることから始める必要がある。
 
 
 
 当方、先週は女房のお迎えの仕事で連日やや寝不足気味の1週間でした。
この2日間ほどようやっと長時間(と言っても7時間強ぐらい)の熟睡的睡眠が
出来てやや胸や背中の痛みが取れた感じがします。CTスキャンによる大病院での
検査に行くかどうか思案中です。熟睡が継続してこのまま治ることが希望です!
まあ、無理でしょうか!?!
 
 
 当方、昨年末の暮れで仕事をリタイアして”毎日が日曜日”となり、プラス巣篭り
状態も発生、外出も日を追って減少傾向となり大して多くは無い貯蓄も使うことが
ほぼなくなりつつあります。この8か月間の間に散財した金額と云えば、飲み会は
ゼロ(禁酒もあるので)、勿論旅行等は無し、チョットした遠出も無し、競馬の本馬場
通いもまったく無しで、精々、近場での外食と本屋で少しの書籍購入、馬券購入・・・
ぐらいしか散在することはありません。この8か月間ぐらいの間に使ったお金は
恐らく5万円ぐらいでしょうか?これなら仕事をリタイアしても何ら問題はありません。
手持ちの現金もまったく減少しません(勿論この中には医療代とか葬儀の費用
とかは入っていませんが)。
 
 
 
 それでは、本日から新たな量子物理学の抜粋を行いますので読んで下さい!
 
 
 
 「この世の光景」が神話そのものだった!
 
  現代は平均寿命が延びて八十~九十歳の人も珍しくないが、どんなに科学が進んでも「生者必滅」の基本は変わらない。五十歳を過ぎるころから「死」について深く考えるようになり、六十歳を過ぎると終着ゴール点に旗がはためいているのが見えるようになってくる。
 人は、「この世」に生を享けるが、必ず死が待っており、例外はない。
 そして、死んだら「あの世」に帰るのだと多くの宗教書は述べているが、本当のことだろうか?はたして「死後の世界」は存在するのだろうか?
 世界三大宗教であるキリスト教、回教、仏教のすべては当然のこととして「死後の世界」を肯定し、それを前提にして「いかに現世を生きるべきか」を教示している。
 こうした宗教の教義に対して、正統派といわれる科学者たちは「死後の世界」に類することは異端科学として排斥してきた。
 量子力学と「死後の世界」の接点を、表だって言う科学者は多くない。主流といわれる科学者ほど、霊や超能力、超常現象に類するものは疑似科学としてタブー視しているからで、アカデミズムの閉塞性が際立っている日本ではとくに顕著である。
 しかし、最先端科学の「量子力学」では「あの世」と「この世」の境界が実験によって検知されており、欧米では超光速信号(テレパシー)や霊界通信のメカニズムまで研究の対象されているといえる。
 
 
 当方、現状では未だ腰痛が完治していないので”じゅんさい池1周ウォーキング”は
無理です。このままでは足腰が弱る一方なので早く腰を直すことに専念します。
 
  今日は以上です。では、また明日・・・・・