PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1476                      後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年8月15日(日)、現在は朝の8時過ぎです。
 
 今日は76回目の終戦記念日です。と言ってもさほどなアクションなどはありません。
コロナ禍の真っただ中での強引な五輪開催やワクチン接種の問題点発生など、問題化
されるべき事象が多出でもう終戦記念日だよと言われてもピンと来ません。
 それにしても昨晩からの豪雨は凄かったですね!夜中中雨音が強く、しかも我が市川市
では真夜中の13時半頃に警報アナウンスがありました。当方、この時間帯に緊急とはいえ
デカい音でアナウンスは初でした。明け方には今度は松戸市の警報アラーム(スマホ向)
…土砂災害警報・・・が鳴りました。ゆっくり寝れる状況ではないですね!
 この雨はまだこれからの3日間ぐらいは続きそうです。今朝もそうですが、雨の影響で
相当気温は下がっています。現在では20℃強程度しか上がっていません。18日以降は
真夏の晴天に戻り、最高気温も33℃ぐらいになるようですので、おかしな時期の入梅
後3日というところでしょうか!?!
 
 コロナ感染に行きます。昨日は都で5094人と2度目の5千載せ、全国ではやっぱり
大台乗せの20151人と出ています。多い所だけ列挙すると、大阪が1828人、兵庫で
628人、京都378人と出て福岡で890人、愛知が698人、静岡は318人です。
近在では神奈川が2356人、埼玉1800人、千葉が1272人で茨城で391人と出ています。
遠方の沖縄は752人、北海道では479人です。今日から数日は減少傾向かもしれませんが、
また来週は相当数が発生することでしょう!?!
 
 今日はまず、ラムダ株の脅威記事から行きます。
 
 
 
ペルーで流行「ラムダ株」恐怖の感染力…日本に五輪関係者が持ち込んでいた事実を政府ヒタ隠し
 
 東京五輪はやはり新型コロナウイルス流入を招いていた。変異株で南米ペルー由来とされる「ラムダ株」が先月上陸していた問題で、感染者が東京五輪関係者だったことが13日、判明した。案の定の展開に、菅政権はどう申し開きするつもりか。
 
 ラムダ株に感染していたのは30代女性。ペルーでの滞在歴があり、五輪開幕直前の先月20日羽田空港に到着。大会の許可証を所持していた。陽性が判明したものの無症状で、そのまま宿泊療養施設に移送されたという。
 
  厚労省内閣官房も先月20日時点でラムダ株の上陸を把握していたにもかかわらず、ヒタ隠し。米メディアが今月6日に報じるまでシラばっくれ、厚労省は追認する形で国内メディアに公表したのだ。しかし、五輪関係者であることは伏せたままだった。医療ガバナンス研究所の上昌広理事長がこう言う。
 
「科学においては情報開示が世界のスタンダード。政府の新型コロナ対策を助言する専門家は真っ先に隠蔽体質を批判しなければいけないのに誰も批判しない。新型コロナ対策分科会による『都内の人流5割削減』との呼びかけにしても、その根拠も言わない。あらゆる情報をオープンにしながら対策を講じていくのが科学なのに、政府も分科会も真逆の姿勢です」
 
  WHO(世界保健機関)はラムダ株を「注目すべき変異株」(VOI)に指定している。英国株やインド株(デルタ株)はワンランク上の「懸念される変異株」(VOC)。政府はラムダ株について「(日本でも)VOIとするかは、今後の検出状況を見て検討する」(厚労省専門家組織座長の脇田隆字感染研所長)との立場だが、悠長に構えている場合なのか。すでにラムダ株は世界44カ国にまで広がっており(13日時点)、その感染力は脅威だ。
 
■「次の流行のシーズンにあたる冬場は要注意」と専門家
 
震源地のペルーでは昨年8月の初確認以降、年末から新規感染者数に占めるラムダ株の割合が増え始め、今年1月末から2月半ばにかけて4割まで上昇。2月末に2割近くまで下がったものの、再び急上昇し、3月末に7割を突破。4月末には9割を超えた。感染が拡大し始めてから半年足らずで従来株から置き換わったのだ。
 
  日本の研究チームも先月28日に発表した査読前論文で、〈ラムダ株はワクチンによる抗体への抵抗力があるため、(ワクチン接種済みでも感染する)ブレークスルー感染を引き起こす可能性がある〉と警鐘を鳴らしている。
 
「ラムダ株がどの程度影響しているかは分かりませんが、ペルーは人口当たりの死者数が世界最悪です。日本は英国株やインド株を過小評価して大流行を招きました。次の流行のシーズンにあたる冬場は要注意です」(上昌広氏)
 
  政府のスカスカ水際対策で英国株やインド株の流入を許し、感染拡大を招いた。また同じ轍を踏むことになるのか。
 
 
 
  五輪がらみは碌な事が無いですね!
 
 
 仙台からやって来ていた息子は昨日の夕方7時半頃仕事場へ帰って行きました。
3日間ぐらいは居たでしょうか(?)、ただ好きなものを食べて寝て→仕事場の
仙台へ帰還、というだけでした。早目に結婚して子供でもできないとこのまま
臭れていくだけの感じがします。我が家から仙台まで車では4時間かかります。
昨晩の豪雨の影響はどうだったでしょうか?連絡が無いので???です。
 当方、今日も外出予定等はありません。リハビリも明日までは医院が休みです。
当方的にはお盆明けにはCTスキャン検査をするかどうか決定させるつもりです。
 
 
 本日は恒例の日刊ゲンダイのコラムを3点付けます。読んで下さい!
 
 
 ①適菜収
 
 
 
 
日本および日本人をバカにし歴史を冒涜するアベスガの非人道性を問え
 
 広島市平和記念公園で開催された「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」のあいさつで菅義偉が事前に用意した原稿の一部を読み飛ばした(8月6日)。
 
  読み飛ばしたのは「(核兵器のない)世界の実現に向けて力を尽くしますと世界に発信しました。わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」といったくだり。
 
  さらには「広島市」を「ひろまし」、「原爆」を「げんぱつ」と読み違え、訂正する場面もあった。
 
  事前に用意された原稿すらまともに読めないのなら、何のために存在しているのか。知恵も回らなければ、舌も回らない。これなら先日生産が一時停止になったロボットのペッパー君が総理大臣をやったほうがまし。
 
  その後、菅周辺は原稿がのりでくっついて剥がれなかったことが原因と無理のある言い訳を始めたが、仮にそれが事実だとしても、話の筋が通っていないのだから普通は変だと気づくだろうし、原稿がくっついていたなら剥がせばいいだけの話。
要するに菅は、日本および日本人を完全にバカにしているのだ。日本語が苦手なくせに事前に原稿の確認もせず、文章の内容すら理解していなかった。理解していたら「ひろまし」などという言葉が出てくるはずもない。
 
  菅は官房長官時代に沖縄の苦難の歴史を語った翁長雄志知事に対し「私は戦後生まれなので、歴史を持ち出されたら困る」と言い放った。こんな理屈が通じるなら、国会議員の大多数は戦後生まれなのだから歴史を知らなくていいということになる。
 
  菅の足りない頭の中では「原爆投下なんて遠い昔のことだからどうでもいい」くらいの感覚なのだろう。
 
  長崎市平和公園で開かれた平和祈念式典に参列した菅は読み飛ばしをしなかったが、それがニュース記事になっていた。幼稚園児ではあるまいし、文章をきちんと読めたことが報道される総理大臣は前代未聞だろう。
 
要するに菅は、日本および日本人を完全にバカにしているのだ。日本語が苦手なくせに事前に原稿の確認もせず、文章の内容すら理解していなかった。理解していたら「ひろまし」などという言葉が出てくるはずもない。
 
  菅は官房長官時代に沖縄の苦難の歴史を語った翁長雄志知事に対し「私は戦後生まれなので、歴史を持ち出されたら困る」と言い放った。こんな理屈が通じるなら、国会議員の大多数は戦後生まれなのだから歴史を知らなくていいということになる。
 
  菅の足りない頭の中では「原爆投下なんて遠い昔のことだからどうでもいい」くらいの感覚なのだろう。
 
  長崎市平和公園で開かれた平和祈念式典に参列した菅は読み飛ばしをしなかったが、それがニュース記事になっていた。幼稚園児ではあるまいし、文章をきちんと読めたことが報道される総理大臣は前代未聞だろう。
 
 
 ②井筒和幸
 
 
 
 
記憶を語り継ぐ者が亡くなれば、この国がアジアで戦争したことさえ知らなくなりそうだ
 東京オリンピックが、何を残したというのか。「勇気」をもらいました? こっちはコロナ禍で映画館に行く気力もなくなってしまった。今度の「強制執行五輪」は昔の「国威発揚五輪」と同様、景気を呼ぶための祭りで、懐かしさだけで「ニッポンよ、夢よもう一度」とやっただけだ。結局は、仕事を失い、暮らしが壊れて、これから先、どうしたらいいのかと悩んでる庶民たちが取り残されただけじゃないか。金ばかり使い込み、このツケが社会をさらに苦しめ、犯罪も増えることだろう。おまけにアゴが外れそうになったのは、閉会式が「東京音頭で盆踊り大会」だったとか。どこのどいつの発案なのか。その音頭は謀略で満州国をでっち上げた頃の景気付けの歌だ。いよいよ日本は思考停止だな。踊ってどうするんだ。
 
  今こそ記憶しなければならないのは、昭和の戦争だ。長崎の原爆式典でスガ首相(写真=代表撮影)はまたテキトーな文句を感情ゼロで朗読した。「……戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の努力を一歩ずつ、着実に前に進めていくことは我が国の変わらぬ使命です」と。世界に向けて何の努力をしてるんだ? 核兵器禁止条約に署名さえしていないのに何が一歩ずつだ。長崎市長が今年もダメ押しで「条約国会議のオブザーバーになって、一日も早く署名し批准することを求めます」と訴える傍らで、今年も首相ははぐらかしていた。アメリカと同盟の杯をかわしていようと“署名します”とアメリカに盾ついてみたらどうだ。経済制裁されるのか。嫌がらせされるのか? 五輪を開くより世界から歓迎されるぞ。「核のない世界を着実に前に……」ってどの口で言ってんだ。被爆者や遺族、国民に恥ずかしくないのか。
長崎市長の「私たちは命ある限り、語り継ぎ、核廃絶と平和を訴えていく」という挨拶も今年はとりわけ空しく思った。被爆の惨禍も、中国大陸で皇軍兵士がしたことも、戦場の何もかもを語り継ぐ証言者がますます亡くなっていく。あと4年経てば、昭和20年のこの15日に国民学校6年生だった少年少女も92歳。当時20歳で南方の戦場などにいた兵士たちはどれほど生きておられるかだ。語られていない記憶を語り継ぐ者が亡くなれば、渋谷で遊ぶ若者も道頓堀で飲む中年サラリーマンも、この国がアジアで戦争したことさえ知らなくなりそうだ。
 
  今の若者には前の戦争といえば「スター・ウォーズ」だ。「鬼畜米英」も知らないし「南京事件」て何ですかだ。元兵士の記憶を映像でも記録して伝えていかないと、侵略された側のアジアの国々と認識の食い違いがさらに広がりバカにされるだろう。ましてや大人に「日本は戦没者の犠牲の上に今の平和繁栄がある」なんて言われても、うなずく人がどれほどいるか、だ。
 
  今日13日は時の政府が会議ばかりして、ポツダム宣言受諾を国民には何も伝えてなかったために、まだ米軍の空襲がやまなかった日だ。
 
 
 ③三枝成彰
 
 
 
 
東京五輪の“学芸会”開閉会式は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめた
 
 すったもんだのオリンピックが終わった。コロナ禍で精いっぱいの健闘をされた選手の皆さんには敬意を表したい。しかしながら開閉会式の中継を見て覚えたのは、「オリンピックはすっかり広告代理店が仕掛ける学芸会になってしまった」という諦念である。
 
  オリンピックが商業主義化したのは1984年のロサンゼルス大会からだ。以来、開催に伴い動くカネはどんどん大きくなっている。今回の経費は7340億円から3兆円に膨れ上がり、史上最高額となった。
 
  当初に掲げていた“コンパクトなオリンピック”はどこ吹く風。「オリンピックは儲かる」というイメージとともに、経費は肥大化を続けてきたのだ。
 
  そこで乗り出したのが広告代理店で、スポンサーと組織委員会の間を取り持ち、メディアへの出稿を管理しマージンを取ってきた。4年に1度の数千億円の商機ともなれば、気合も入るだろう。インターネットの普及で一般消費者の新聞離れ、テレビ離れが加速して広告が儲からなくなるにつけ、余計にオリンピック関連の稼ぎが売り上げの大きな割合を占めるようになった。その仕事を取るためなら、政府や組織委員会が表立ってできない裏での交渉や“汚れ仕事”も喜んで引き受けるというわけだ。
 
1つの国や都市が自弁でやろうとするから無理が出るし、広告代理店が業務を仲介することでどんどん焦点がぼやける。“知”と“芸術”の薫りのないショーとなり、スポーツの祭典たるオリンピックの本質からずれていくのだ。
 
  そもそも大会のためにいちいちスタジアムを建設していたら、億単位のカネが簡単に消えてしまう。ならばいっそのこと開催地をオリンピック発祥の地であるギリシャアテネに固定してはどうか。“幹事役”は持ち回りとしてもカネはIOC加盟各国が同等に負担し共催にすればいい。それなら負担が1国に集中せず、無駄な経費もかからない。
 
  出場するアスリートも、場所が一定ならコンディションを整えやすいだろう。アテネで共催と決めることで近代オリンピズムの精神に回帰できるし、おのずと“コンパクトなオリンピック”が実現すると思う。
 
■五輪その国の“芸術力”のショーウインドーでもある
 
今回は閉会式で「天皇も参加する〇×クイズ」の演出案があったという週刊文春の記事には心底あきれたが、それがなくてもあの支離滅裂な学芸会は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめてしまった。
 
  案内役の女性たちのマタニティーウエアのような衣装も意味不明である。日本は三宅一生さんや山本耀司さんら気鋭のデザイナーが画期的なセンスで世界を驚かせたファッション先進国ではなかったのか? このダサさはもうどうしようもないと思った。
 
  自衛隊が毎年行う「音楽まつり」には、礼服姿の防衛大学の学生たちが出演する。これが実に格好いい。閉会式の国旗掲揚には選りすぐりの防大の学生や自衛隊の儀仗隊を出せばよかったのにと思う。世界へのとっておきのプレゼンにこそ見目麗しい人材を投じ、日本人の凛とした美しさを見せるべきだった。それに比べてパリの次回大会のアピールは素晴らしかった。完全に日本は負けていた。
 
かつての日本人には、あえて崇高で難しいテーマに取り組み、わからないことを理解しようとする気概があった。そのための努力をいとわなかった。それがこの国を発展させてきた一因のはずなのに、いつのまにか私たちの中から抜け落ちた。代わりにはびこっているのは、流行やウケのよさや実利ばかりを優先し、安直な方向に流れる広告代理店的で商業主義的な発想だ。
 
  オリンピックはスポーツだけではなく、その国の“芸術力”のショーウインドーでもある。今回の開会式と閉会式で、もはや日本が尊敬に値する国ではないことを、私たちははからずも世界にアピールする結果となった。
 
  以上です。
 
 今日は量子物理学も付けますが、明日以降は新たな論考に変わります。
こちらも読んで下さい。
 
 
 
 
 
  E・ラズロは述べる。
 
  今出現しつつある量子学の洞察に照らし合わせてみると、宇宙は単なる物質が集合しただけのものではなく、むしろ生きた生命体に似ている。私たちが宇宙と呼ぶリアリティは、継ぎ目のない全一体であり、途方もない長い宇宙的な時間にわたって進化を続けた生命であり、それによって人の精神や意識が出現する条件を生み出し続けているのだ。
 
  時間とは「何か?」
 
 ウスペンスキーは「時間の神秘こそ明らかにされるべき最初の神秘であるという事実を理解することが、知的手段によって宇宙意識を発達させるための第一歩」と述べている。
 
 単純に時間に対していえることは、我々を含めた宇宙の万物は「何か?」に対して動いている。
 あるいは「何か?」が万物に対して動いている。その「何か?」が時間となるだろう。
 古くから「重力」と「時間」は表裏一体と直観されてきたが、たしかに共通点も多い。
 「重力」は地球上の万物を支配下に収め、常に束縛して離さない。
 時間も同じで、両者を具現させている源泉は同じ「何か?」となろう。
 そう、両者を具現させている「同化の原理」で、宇宙全体を占める空間の物性(エーテル)パワーだったのである。
 宇宙の万物は、どこに位置しても常に宇宙の中心と化しているため、あらゆる存在に対してエーテル流は一様に同化の透過力を集中させている。つまり重力と同じように、我々万物を透過する宇宙の基本エネルギー流が「時間」となって知覚されるのだろう。
 
 
  来週からの量子物理学は”死後の世界を突き止めた量子力学”―コンノ ケンイチ―
で行きます。乞うご期待???です。というかだいぶ以前に添付しているかもしれません。
それでも何度も読んで勉強してください!!!
 
 
 
            では、また明日・・・・・