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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 894 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年2月18日(月)、現在は朝の7時20分です。
日付的には2月半ば過ぎという真冬そのものですが、明日以降は降雨と気温上昇
が始まりそうでもう早春と言った方がベターになるかもしれません。
この土日の競馬は見事な完敗となり、もう当分はやらないことが確定しました。
春のクラシック戦線では皐月賞ぐらい、大レースでは天皇賞ぐらいしか馬券買いは見送り
にします。もう馬の話題は当分ご法度とします。
今月も後2週間となりました。この2週間では”毎日が日曜日”の当方としては何故か忙しく、
本日からスケジュールがいっぱいになりそうです。まず今日は失業後の就活のひとつとして
派遣会社への登録があります。午後の4時の約束で海浜幕張に支部があるアデコ株式会社
(本社は霞が関)に行って派遣社員登録などをします。この件に関しては後日報告します。
本日の午前中には郵便局へ振り込みに行き、北総の矢切駅から2つ先の秋山駅の近くにある
皮膚科”シャルムクリニック”という医院に顔のもみあげ近くに出来たおでき(段々大きくなっている)
の件で相談の取りあえずは電話をしてみますのでその後は通院することになるかもしれません。
20日の水曜日は午前中に予約したヨガ教室に行ってきます。22日の金曜日は午前中に
本八幡駅近くのハローワークに行き、失業認定を受けに行きます。時間帯が9:30から10:00の
間なので家からは徒歩で行きます。帰路は市川駅で本屋によりお昼を坂内のラーメンにする
つもりです。次に先週末手続きが終了した固定電話とPCのプロバイダー変更(au→NURO)の件で
auのモデムをKDDIに返送する作業があります。そして、来週の27日(水)には新車購入9年目の
車検があります。ダイハツ南松戸店へ10:00に行き、その日だけの2時間ぐらいで終わるよう
なので助かりますが、お金はそこそこ罹ります。当方この間の暮れに70歳になりましたがまだ
自動車の運転はするつもりです。何歳までと決めるのではなく、明らかに運転が危なくなってきた
とか、身体的な不備が発生したりとか頭が一寸鈍くなってきたとかがあれば止めて免許証を国に
返納するつもりではいますが。そのためには頭が正常に働かなくなる前に再就職するとかこの
PNCをレベルアップして書くとかをしなければならないでしょう!当方らの父母が体験した老人人生
ではゴルフをしたり麻雀をしたりカラオケに行ったりとかしていました。現在の当方的にはゴルフも
麻雀もカラオケも飲み会も皆無か殆んどなしになっています。これでは認知症が不安ですね。
今来週の忙しさは対認知症の作業と云えないことも無いでしょうか!?!
先日、予告した藤原正彦の著書”国家の教養”の後半部の論考から少し書きだしをしておきます。
①読書がなぜ大事なのか・・・本を読むという事は、幾歳月にわたる歴史の星霜(せいそう:としつき・
年月)に耐えた、古今東西の賢人達の精魂こめた授業を、タダで聴講することが出来る。知識や
思想を吸収できる。文学書を読めば古今東西の庶民の哀歌に触れることで人間としての美しい
情緒や、醜い情緒を学ぶことが出来る。
②一篇の詩が人生を変えることもある・・・一篇の詩に出会っただけで、生き方が変わったり、志を
立てたり、それを実現するために頑張ることが可能となったりすることもある。情緒の凄い力です。
本日はここまでにしておきます。今来週は少し忙しそうなのでご容赦ください!
それでもニーチェと量子物理学は行きます。
二十一 ショーペンハウアー。― ショーペンハウアーは、問題になる最後のドイツ人であって(― 彼はゲーテと同じく、ヘーゲルと同じく、ハインリヒ・ハイネと同じくヨーロッパ的事変であり、だから、局地的な、「国民的」な事変であるばかりではない)、心理学者にとっては第一級の一症例である。すなわち、ニヒリズムにもとづいて生の価値を総体的に引き下げるために、まさしくその反対法廷を、「生への意志」の大いなる自己肯定を、生の突起形式を持ち出してくる悪意に満ちた天才的な試みとしてである。彼は、順々に、芸術を、英雄主義を、天才を、美を、大いなる共感を、認識を、真理への意志を、悲劇を「意志」の「否定」ないしは否定要求の随伴現象として解釈した― キリスト教を除けば、歴史上でみられる最大の心理学的贋造である。もっと綿密に注意すれば彼はこの点ではたんにキリスト教的解釈の相続人にすぎない。ただ彼は、キリスト教によって拒絶されたもの、人類の偉大な文化的事実をも、キリスト教的な、言い換えればニヒリズム的な意味において是認するろことを心得ていたとすることが異なるにすぎない(― つまり、「救済」への道として、「救済」の先行形式として、「救済」に対する欲求の刺激剤として・・・)
量子物理学
この説の観点からは、我々が知っているすべてのもの―植物、動物、惑星など―は流動体であり、流転の量によってお互いに異なっているに過ぎない。しかし、時間と共に絶えず変化するが、例えば肉体などは時に急激に変化するにもかかわらず、物はそのままに留まる。若い肉体も年老いた肉体も、同じ肉体である。もっとも、年老いた肉体の中には若い肉体の中にあった原子はまったく残されていないのだが、あらゆる変化にもかかわらず「何か」は同じまま残る。この「何か」が「リンガ・シャリーラ」である。ニュートンの理論は時間の中に存在する三次元世界にとっては正しい。この世界では一定不変のものは何もない。すべてのものが可変的であり、一瞬後の物は一瞬前の物ともう同じではない。
非現実的で可変的なのは三次元の物の方である。それらは実在(リアリティ)ではあり得ない。立体の断面が存在であるように、実際にはそれらは存在していないからである。実在するのは四次元体のみである。
ジェームズ教授は『多元的宇宙』という講義録の中で、ベルグソン教授のある観測に注目を引いている。それは、科学は常に宇宙のほんの一部を研究しているに過ぎない、すなわち、全体としての宇宙ではなく、宇宙の時間の断面である「瞬間」のみを扱っているに過ぎないというものである。