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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 899 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年2月23日(土)、現在は朝の7時50分です。
一般的な勤め人にとってはようやっとの週末となり、まだ起床もしていない方が
多い事と思います。今朝はどんよりとした曇天の空模様でイマイチシャキッとしない
一日となりそうです。
当方、この年になるまで所謂花粉症には罹っていません。花粉症が話題となって
かれこれ50年ぐらいになるでしょうか?酷い症状になったことがないのでその苦しさは
理解できません。ところが最近というかこのところ毎朝鼻水が出るようになっています。
今朝などは起床後1時間ぐらいで15回以上は鼻を咬んでいます。くしゃみはまあ少なく
鼻づまりなどはまったくありませんので苦しいという状態ではありません。ネット情報など
を参考にすると当方の鼻水の出方は異常な方でチャンとした花粉症である・・・と、診断
されました。どうでしょうか???・・・そうでもないのでは?と言いたいですが・・・
それでも朝の起き立てとか、熱い食べ物(ラーメン・かけそばの類)を食すると異常なくらい
鼻水が出ます。でもすぐ発作(?)は収まりますので問題あるの?という状況です。
昨日も久々に市川駅構内にある喜多方”坂内”でラーメンを食しましたがやはり鼻水は
沢山出ました。この日は午前中に予約していた本八幡の職業安定所(ハローワーク)へ
出向き、失業保険の認定を受けてきました。支給額は少ないですが1週間ぐらいの内に
一括で振り込んでくれるそうです。それでも当方的には残念な失業保険給付です。
もう当方会社員生活を始めて都合45年ぐらいになるのに支給額は少なすぎます。
給与も一番良い時と直前のアルバイトでの給与とでは10倍近く違います。今回支給される
失業手当の算定基準給与は直近の今までで一番低い給与が対象となっています。これでは
当然低額の支給ですね!残念だらけの”毎日が日曜日”人間でした。
毎日起きる電車遅延の件ですが、昨日の常磐線は大きな事故等はなかったようですが、
やはり遅延はしていたようです。遅延連続記録更新中ですね?
昨晩は夜に京浜急行で車両点検があり、女房の帰宅に影響、約30分間は京成高砂駅
で待たされました。この寒空で寒風吹きさらしの駅のホームでなかなか来ない電車を待つ
のはきついです。世界に冠たる日本の列車運行もほとんどその栄誉を返上する時期に
来たようです。ある哲学者に言わせると”日本はもう一等国ではなく、三等国に陥っている”
そうです。日本はこんなものだと理解してすべてに対応・対処すべき時期が完全にやって
来たようです。
先週でとどめを刺された当方の馬券買いですが、ネット注文に残っていた900円を一応
買っておきました。これが外れると(11Rと12R )完璧に競馬は止めます。競馬の醍醐味は
トンでも大万馬券を取った時です。それが当方ときたら穴馬券も本命馬券もこのところ全く
取れていません。不思議なくらいの体たらくです。やはり株とか競馬などのギャンブル系は
もうこの年では無理なのかも・・・?しれません。
本日はこの後、近くの温泉”笑顔の湯”へ行き、いつものマッサージさんのフットマッサージを
受けに行ってきます。お昼がすんだら近くの酒の量販店”ビッグボス”で少し大目にアルコール類
を買い溜めに行きます。
では、ニーチェと量子物理学を勉強しましょう!!!
三十六 医者のための道徳。― 病人は社会の寄生虫である。或る種の社会においては、長生きすることは無礼なことである。医者や治療に女々しく頼って無益に生き永らえるのは、生きることの意味、生きることの権利が失われてしまったのちには、社会においては深い軽蔑を招くにちがいない。
― 一切は、キリスト教が臨終の時をもてあそんできた憐れむべき身の毛もよだつ喜劇とは反対である。キリスト教が死にゆく者の弱みを悪用して良心を慮辱してきたということを、キリスト教のためにけっして忘れてはならない!― ここで肝要なのは、偏見のあらゆる臆病さに抗して、なかんずく、いわゆる自然死の正しい、言い換えれば生理学的な評価を回復させることである。すなわち、自然死も結局は「不自然」死、一つの自殺にすぎない。人は、おのれ自身による以外には、けっして誰によっても破滅することはない。ただそれは最も軽蔑すべき条件のもとでの死であり、不自由な死、時を得ない死、臆病者の死というものである。人は、生への愛から― 、死を別用に意欲すべきであろう、自由に意識的に、偶然抜きで、奇襲ぬきで・・・最後に、ペシミストやその他のデカダン諸君に一つの忠告。私たちは、生まれることをみずから妨げることはできない。しかし私たちはこの過失を―なぜなら生まれることはときどき一つの過失であるから ― 、人はショーペンハウアーをまずもって否定しなければならない・・・
量子物理学
我々が心的構造を変えることができ、この変更によって周囲の世界が変化したということが分かれば、それが世界の特性が我々の心的構造の特性に依存していることの証明となる。
カントの思想は以下の事実を示すことによって実験的に証明することができる。感覚だけを持つ存在にとって世界は一次元であり、感覚と表象を持つ存在にとって世界は二次元であり、概念や観念に加えて、高次の知覚形態を有する者にとっては、世界は四次元である。
様々な霊的教えや宗教的、哲学的教義は、まさにこの「意識の拡大」を公のあるいは隠れた目的にしている。あらゆる時代の神秘主義、オカルティズム、東洋のヨガの目的は「意識の拡大」である。
「本能活動」とは、有益ではあるが選択や目的の意識なしに行われる活動のことである。
「合理的活動」とは、それが行なわれる前に行動主体に知られている活動のことである。活動主体が、それを行う以前に、名付け、定義し、その理由と目的を指摘できる行為のことである。
「自動的活動」とは、その主体にとって合理的なものであるが、繰り返し行われることで習慣的で、無意識になった行動のことである。
本能的活動は種が発達させた自動的活動と呼ぶことはできない。なぜならそれらはその種の存在にとって合理的なものでは決してなく、一連の複雑な反射の結果だからである。