PNC会員へ・・・

会員のみなさま                     後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年9月8日(日)、現在は朝の6時45分です。

 

 昨日と同じ時刻の書き出しですが、睡眠の状況もまったく同じで1日の活動に

必要な睡眠時間の5~6時間は確保されていますが、睡眠負債は一向に返済され

ることのない9月でも猛暑の毎日です。昨日は本当に暑かったですね!今日も

昨日とまったく変わらない暑さでしょうが、午後からは台風15号の前哨戦的雨風

になるようです。本年初の我が地域上陸は相当きつそうです。今夜の12時から

3時ぐらいがピークと予想されています。当方は明日も休みですが、会社勤めの

みなさまは出勤時間に影響が出ることは必至ですので十分気を付けてください。

 それでも暑さのピークは10日ぐらいでその後は徐々に涼しさが増して来そうで

やや安堵です。

 

 本日から大相撲の秋場所(9月場所)が両国国技館で始まります。両横綱

登場できそうですが、大関陣は相当危ないです。貴景勝大関陥落して関脇と

なりますが、果たして怪我は大丈夫なのでしょうか?当方的には来年の初場所

ぐらいまでは休んで治療に専念すべきと思うのですが、無理でしょうね!?!

他の大関陣では高安が休場決定して、夏巡業を休場した豪栄道と栃の心も

何かしら危うい感じがしています。またまた大関陣全滅の予感でいっぱいです。

 当方、相撲は殆んど見ませんが、その中で一番の見どころというかテレビ観戦で

面白いのは解説に元横綱北の富士が出た時だけです。この人は本音でものを

言いますので聞いていて楽しいし矯めになります。これと正反対なのは当方大嫌いな

ネトウヨ解説者”大馬鹿舞の海”でしょうか。こいつの出番が多すぎることも大相撲が

つまらなくなった大きな原因かもしれません。というか、相撲協会重鎮の元力士たちが

あまりにも大馬鹿だからでしょね!!!

 

 3カ月ぶりに再開した競馬(中山競馬場)ですが、初日の昨日は完敗でした。

今日も取りあえずは3鞍買いました。期待は10Rの外房Sです。14番のノーフィアー

という馬から6点流しです。資金の流れは15100円→12000円→9500円となってます。

まだ余裕ですね!

 当方、ギャンブル(株投機も含む)はこの競馬以外はやらなくなっています。同じ公営の

競馬と同列の競艇・競輪・オートレースの類は徳光と蛭子に任せて当方らは一切関わらない

ことです。もちろん近く開場が予定されている(横浜が本命か?)カジノなどは我らでやる人

など居ないと思いますが、絶対に近寄らないことです。もう一つ、絶対に買ってはいけない

宝くじは当然です=みずほ銀行を見たら避けて通りましょう!!!。

 ギャンブルでも麻雀のようなゲームは頭を使うし指の運動にもなり、本当はやりたいのですが、

メンツを揃えるのに苦労するので、結局はやれない・・・ということになりますので残念です。

結局、当方やPNC会員のみなさまが出来るギャンブルは合法・非合法に関わらず、中央競馬

(JRA)だけという結論になるわけです。酒の量販店で行う芋焼酎のくじ引きは当方は当たる確率が

高いので可ですが、毎週は止めましょう。偶にならデス!

 

 当方、3連休で明日も休みですが、PNCもすこしはマシな論考(的なもの)を若干行こうかと

ネタ情報を収集中です。GPIFと睡眠あたりに標準を合わせておきます。

 

それではニーチェと量子物理学は行きます。

 

 

ニーチェ

 

 

 

ヴァーグナーの場合

 

   一つの音楽家―問題

 

一 精神的な事柄に関してはますます鈍重になり、本能不足になり、ますます正直になってゆくドイツ国民、疑う余地なく、ドイツ人どもは理想主義者だ・・・

 

! ドイツ人はそろいもそろって政治の(あるいは教会の)道化役になってしまっているということだ。

ルター、この宿命の修道僧は教会を、いやそれよりも千倍もまずいことに、キリスト教、この宗教になってしまった生への意志の否認!・・・ルター、このとんでもない一修道僧はその『とんでもなさ』を根拠にして教会を攻撃し、そして、――その結果!――教会を再興した・・・カトリック教徒たちはルター劇を作ってしかるべきはず・・・ルターと『道徳的再』!心理学など一切無用!というわけだ。

 

 

 

 

 

量子物理学

 

 

イニシエーション(秘儀参入)

 イニシエーションは陰鬱さからの自由を与え、「死者の住みか」からの決して終わることのない嘆きから脱出する道を提供し、ある種の死における生命を与えた。

 

 秘境という考えの中身を理解するためには、人類の歴史は通常考えられているよりはるかに長いということを知っておく必要がある。通常の教科書や通俗的な「歴史概論」は、非常に短い有史時代とそれ以前の暗黒時代を扱っているが、それは実際には、より最近の科学的見解からはほど遠いものだとということが分かる。今日の歴史科学は「先史時代」と「石器時代」を五、六〇年前とはまったく異なったものとみなしている。先史時代を野蛮人の時代とみなすことはできなくなっている。なぜなら、その見解に反するような、先史時代の遺物、古代文芸の記念碑、さまざまな宗教慣習儀礼の研究、宗教の比較研究、とりわけ言語の研究、すなわち比較言語学のデータが、古代言語の驚くべき心理学的豊富さを示しているからである。その反対に、古い見解とは対立して、古代史文明が存在した可能性についての新しい説が次々に現れている。かくして「石器時代」は、歴史の始まりではなく、先に存在した文明の堕落し退化したものではないかという可能性が出てきている