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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1169 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2020年8月15日(土)、現在は朝の6時半です。
梅雨明けと同時に8月に入りもうすでに2週間が経過しました。此の2週間は
暑かったですね。というかまだまだこの暑さは継続しそうですが。地域によっては
ゲリラ豪雨的な大雨に見舞われた所もあるようですが、当家界隈はお湿り程度です。
今朝も早よから蝉の大合唱は止みません。お盆ということで鳴き手のリードは
ミンミンゼミからツクツクボウシに代わっていますが、煩さに変化はありません。
一昨日の市川界隈での飲み会は予想された通り、午後1時から午後4時で
終わるわけは無く、結局、6時ぐらいまで合計で5時間の大飲みになってしまいました。
二人だけの酒宴ですが、二人ともこの半年間はほゞ飲み会ゼロなのでその時間の
鬱憤を晴らすかのような大飲みでありました。当方は生中に始まり、後は全部ホッピー
だけで終始しました。お盆休みの平日の午後に営業している店は当然少ないのですが、
遠く逗子からやってきた元同僚は当方に代わり少し早目に市川に到着、既に営業
している居酒屋を物色しておいてくれました。当方的には本来地元ですからこちらが
探さねばならない所ですが、知り合いのお店は普通夕方からしか営業はしていませんので
仕方ありません。当方は最初から”日高屋”あたりに検討を付けておきましたが、この
同僚もちゃんと日高屋の姉妹店(隣接している)日高屋焼き鳥店を見つけてくれていました。
ここは市川駅の南口側にあるので便利です。ここの焼き鳥中心の料理はまずまずでした。
元同僚と別れてからバスに乗る前に本屋で新書を1冊購入していましたが、翌日に
実物を見ても思い出せません。それくらい飲んだということでしょうか?
此の友人(元同僚)は当方より3歳下で会社を65歳で定年退職しています。ということは、
もう”毎日が日曜日”になってから3年は経っているはずです。本年のコロナ騒動勃発
する以前は旧友との飲み会も沢山あり、自宅近くのジム通いが日課で毎日が充実して
リタイアを充分楽しんでいました。それが、コロナ禍で飲み会が全部中止か延期になり、
ジムも閉鎖状態ということでやることが全部無くなって、御多分に漏れず”うつ症状”的な
感覚になっていました。当方との二人だけの宴会でも超嬉しげではありました。
また、やろうね!ということで、近い時期に銀座界隈での飲み会を約して別れました。
逗子の秋谷あたりが住まいの方ですが、市川と逗子は総武線快速電車で乗り換えなしで
往復できます。それでもけっこう遠いですので次回からは都心に場を移すことになります。
暑さの代名詞のような8月ですが、まだ2週間たっぷりあります。毎年ですが、お盆が
終わった後の”残夏”(とでもいうか?)は特にきついですね。若いころはこの時期の
海水浴に(土用波が経つので普通の人は行かない)も好んで行った記憶があります。
もちろん今年はコロナ禍で海水浴はほゞ無しですが、コロナが無くても当方が行くわけ
ありませんが。この元同僚は当然ですが、現状の自分の置かれた状況から、当方が
もう会社を辞めたいというと、大反対されました。本当に”毎日が日曜日”で時間つぶしに
超困るとのことです。当方的にはこれは予想の範疇ですが、やはり疲れが激しかったら
現在の仕事は辞めて、少し経ったら別の楽な仕事を見つけるのがベストだと思っています。
渡哲也が亡くなりました。78歳という年齢はどうでしょうか?早いのか普通なのか・・・です。
弟の渡瀬恒彦は3年前に72歳で亡くなっています。現在の当方と同じぐらいですね。
この兄弟二人とも良い役者でした。やはり重篤な病を抱えていると死は何時やって来るか
分りませんね。今年のコロナ禍でも亡くなった志村けんや岡江久美子はやはり病を抱えて
いました。当方、コロナであまり心配していない理由は持病とかが皆無だからです。精々、
持っているのは軽い痛風ぐらいでしょうか?コロナより熱中症の方がよほど怖いです。
最近放送していたお酒の松竹梅のCMでは若いころの裕次郎と一緒に出ている現在の
渡哲也を見比べなくても、よっぽど渡の方が病気持ちに見えていました。映像は嘘をつき
ませんね。当方、今年の暮には満で72歳になりますが、所謂旧友や元同僚の訃報は
ほとんど聞きません。親戚とか旧友らの親の代の方々はほぼ淘汰されていますので、
当然、次は我らの年代となりますが、まだ少し早いのでしょうか?先輩や元上司の方たち
ではけっこう亡くなられていますが、同年代の方は全員(といっても良いくらい)健在です。
今日と明日は通常の終末の休日ですが、来週になると火・水・木の3日間が休みで土・
日・月も3連休となります。これが当方のお盆休みです。
”半沢直樹”というテレビドラマが流行っているようです。前回大ヒットしたシリーズものの
再作品ですが、高視聴率を上げているようです。当方、申し訳ありませんが、前回も今回も
一回もかすりも見ていませんので大したことは言えませんが、どうもこの半沢直樹という
主人公は証券マンのようです。証券対銀行の確執がメインテーマのようです。
はっきり言って、証券界から足を洗って17年ぐらい経つのであまり興味は湧きません。
もし当方が証券と関わることがあるとすれば、前にも書きましたが、生きて健在の時に
日経平均株価がただの4500円ぐらいまで暴落したら家を担保に借金して大勝負を
する気持はまだありますが。それ以外では絶対に証券関連には近づきません。
”半沢直樹もびっくり、銀行と証券会社との危険な関係”という一文を書いた人がいるので
下に添付します。興味がある方は読んでください。
昔当方が所属した大七証券も出てきます・・・
怒る東京三菱銀行、翻弄される日興証券…半沢直樹もびっくり?銀行と証券会社の危険な関係
2020.08.09 06:10 文=菊地浩之 Business Journal
2010年に誕生した三菱UFJモルガン・スタンレー証券。三菱UFJ証券と、外資系投資銀、モルガン・スタンレーの日本法人であったモルガン・スタンレー証券とが合併する形で生まれた。(写真:アフロ)
■銀行から見た、証券業界の“再編史”
2020年7月19日より、2013年に放送され大好評だったドラマ『半沢直樹』(TBS系)の続編が放送開始された。8月2日に放送された第3話の視聴率は23.2パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、今回も大ヒットを予感させられるが、この第2シリーズの舞台は、銀行の子会社、証券会社である。
前作の最終話では42.2%の視聴率を叩き出した人気ドラマ『半沢直樹』。(画像はTBS公式サイトより)
いまやメガバンクは金融持株会社の頂点として、銀行・信託・証券・クレジットカードなど、幅広い業態の会社を傘下に持っている。しかし1990年代までは持株会社が解禁されておらず、異業態への参入も規制されていたので、銀行としては証券業への参入に色目を使ってはいたものの、大手証券会社との業務提携、中小証券会社の事実上の買収という手を使うほかなかった。
メガバンク再編以前、大手銀行といえば、六大都市銀行(三井・三菱・住友・富士・三和・一勧)であり、大手証券会社といえば、四大証券(野村・山一・日興・大和)だった。住友銀行が大和証券、三菱銀行が日興証券と山一証券、富士銀行が山一証券と提携していた。四大証券トップの野村証券は、三井銀行・三和銀行と「親しい」といわれていた。どこが違うかというと、野村以外の三社は銀行が主、証券会社が従の関係だったが、野村と三井・三和は、むしろ野村に主導権があったというニュアンスのようだ。
メガバンク再編以前の「六大都市銀行+興銀」と、各行と関係の深かった「四大証券会社」の関係図
さらに大手銀行は、中小の証券会社を事実上買収していった。
通常、買収とは株式の過半数を取得することをいうのだが、銀行は他業態とは比べものにならないくらいカネを持っているので、これで企業を買収していくと、やがては産業を支配し、いびつな産業構造になってしまう危惧がある。そこで、他業態の株式は上限10%(のち5%に改正)までしか所有できないのだ。そこで、親密な企業に名義を貸してもらって(=株式を持ってもらって)、実質的に支配。社長をはじめ、役員を天下りさせていたのである。
■中小証券会社は合併、合併、また合併の憂き目に
ところが、こうした銀行と証券の関係は、1990年代に大きな変化を迎える。
バブル経済が崩壊し、資本市場としての東京の世界的な地位が低下していくと、国内経済を活性化するために大胆な規制緩和を実施すべきだという気運が盛り上がり、「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる大規模な規制緩和が実施された。そのひとつに、業態別子会社による異業種参入および業務分野規制の撤廃があった。より具体的にいうと、銀行が証券子会社を設立。証券会社が銀行子会社を設立して、互いに異業種参入しようというものである。
「日本版金融ビッグバン」で設立された銀行の証券子会社
そして1997年11月、「四大証券」の一角、山一証券が破綻し、証券業界はかつてない危機感に包まれる。銀行も証券も合併再編・業務提携の大きな波に呑み込まれていった。
周知の通り、大手銀行はまず4つのメガバンク、そして、さらに3つ(三井住友・三菱UFJ・みずほ)に集約された。そして証券会社の場合は、大手はさらに踏み込んだ業務提携、中小は銀行の都合で合併、合併、また合併という憂き目を見た。
三井住友銀行傘下の証券会社の再編史
■東京三菱銀行は激怒? 銀行に翻弄される「四大証券」
「四大証券」のひとつ、日興証券は、1998年5月に米トラベラーズ・グループ(のちに米シティグループに合併。以下、米シティグループ)との資本提携に踏み込んだ。
この業務提携発表を聞いて、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)首脳が激怒する。
東京三菱銀行としては、証券会社と手を結ぶなら日興証券だと考え、日興証券もその気を見せていたらしい。ところが、諸説あって真相は五里霧中なのだが、どうやら多少の行き違いがあったらしく、日興証券は米シティグループとの業務提携になびいてしまったのだ。
東京三菱銀行は、日興証券の業務提携発表から10日もたたないうちに、事実上傘下におさめていた菱光証券と大七証券を合併させて東京三菱パーソナル証券を設立し、これに証券子会社の東京三菱証券(旧・三菱ダイヤモンド証券)も合同させると発表。独自に三菱グループの証券会社を育成する意思を表明した。さらに当時、もっとも優良な中堅証券と名高かった国際証券を買収し、2002年に傘下の証券会社(東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券、一成証券)を合併させて、三菱証券を設立する。
日興証券の顧客には三菱グループ企業が名を連ねていたから、米シティグループもそれをアテにしていたのに、提携して早々に反目を買ってしまったのだから、困惑することこの上ない。
一方、三菱証券はその後モルガン・スタンレー証券を吸収合併し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券となって、いまでは「五大証券」の一角と呼ばれるほどの地位を占めるまで育っていったのだから、日興証券からすれば目も当てられない。
三菱UFJ銀行系の証券会社の再編図。最終的に三菱UFJモルガン・スタンレー証券に至る流れ。(濃緑に白ヌキ文字は、銀行の証券子会社)
同じく「四大証券」のひとつ、大和証券は、1999年12月に住友銀行(現・三井住友銀行)との提携を選んだ。
大和証券はリテール分野(大和証券)とホールセール分野(大和証券SBキャピタル・マーケッツ[略称・大和証券SBCM、のち大和証券SMBCに改称。SMBCは三井住友銀行の略称])をそれぞれ子会社として分離し、自らは大和証券グループ本社と改称して持株会社になった。さらに、大和証券SMBCに住友銀行から40パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。
もともと住友銀行は証券部門への進出に積極的な都市銀行として知られ、この業務提携を機に大和証券SMBCに行員を出向させ、証券戦略を積極化していった。
一方、大和証券は住友銀行に主導権を渡さないように抵抗し続けたようだ。このことが住友銀行からの不満を招き、さらなる証券業界再編への伏線となっていく。
■三井住友FG、最終的に大和証券とオサラバ
米シティグループもリーマン・ショックで経営不安に陥り、日興コーディアルグループ(旧日興証券)の所有株式売却を決断し、入札を実施する。
その最有力候補はみずほフィナンシャルグループで、三菱UFJフィナンシャル・グループとの一騎打ちが予想されたのだが、最終的に手に入れたのは三井住友フィナンシャルグループ(旧・住友銀行。以下、三井住友FG)だった。
先述したように、三井住友FGは大和証券グループ本社との業務提携で証券部門への足がかりを築いていたが、主導権を握ることができず、業を煮やしていた。なので、買収によって完全に支配下に置ける日興コーディアルグループは魅力的だったわけだ。
こうして、三井住友FGは傘下に旧・日興証券、提携相手に旧・大和証券を持つことになった。旧・日興証券を完全な支配下に置いた三井住友FGにとって、主導権を握らせない証券会社は無用の長物でしかない。2009年に大和証券グループ本社との提携を解消。2011年に日興コーディアルグループを完全子会社としてSMBC日興証券と改称させたのだ。
ドラマ『半沢直樹』では、親会社である銀行による理不尽な証券子会社イジメが繰り返されるのだが、子会社が親会社のいうことを唯々諾々と聞いていたとは限らない。
昭和のバンカーにとって、怖い者は株主ではない(当時はまだ株主の力が弱かった)。役所(大蔵省[現・財務省、金融監督庁])とOBだ。これは証券子会社の話ではないのだが、大物OBが関連会社に天下ったまま、居座って銀行と対立し、現役役員を困らせる……という話は皆無ではない。もちろん関連会社の人事は銀行が握っているのだが、大物OBを更迭できるような大物バンカーなど、そうそうはいなかったであろう。
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。
というものです。今日は此の添付が長いので量子物理学は休みます。
では、また明日・・・