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会員のみなさま 1344                      後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年4月5日(月)、現在は朝の6時45分です。
 昨晩はけっこうな降雨がありました。今日はこれから夕方ぐらいまで曇りで
それから晴れ気味となり、明日以降はずっと好天が予想されています。
 今日から5日間は女房を矢切駅まで11時20分出発で送り、夜の9時45分に
京成国府台駅に迎えに行くこととなります。夕飯からの時間の使い方に苦慮し
そうな5日間となります。たった5日間ですが昼食と夕食に苦労することは自明
です。
 
 コロナですが、昨日の感染者は都で355人、全国で2472人と日曜日の割には
大きくは減りませんね。大阪は連日の都越えで594人と出ています。
 昨日は昼の予定なしの時間帯に『ワクチンの真実』を完読しました。崎谷博征先生
の”自然界には病原菌を持つウイルスは存在しない”という記事を付けますので
論考理解の足しにしてください。読んだ本で大切なところは後日抜粋します。
 
 
内容>
「自然界には病原性を持つウイルスは存在しない!」 現代医学の基礎を根本から震撼させる崎谷医師の力作がようやく世に出ることになりました。19世紀後半から、謎の感染症の原因として、バクテリアではないフィルターを通過する微小物質を「ウイルス」と呼ぶようになりました。そのウイルスの存在は、20世紀初頭の電子顕微鏡の発明によって可視化されて存在を確認されたはずでした。 しかし、歴史上、一度たりとも血液中に存在するはずのウイルスの姿を捉えたものは存在しません。その電子顕微鏡で見ているものは、実際は細胞(細胞小器官、遺伝子)の破片やエクソソーム(細胞外小胞)と呼ばれる細胞から発生したものを捉えたにすぎなかったのです。このことを1800年代後半から現代に至るまでの多数のエビデンスで証明しています。 さらに上巻では、コッホやパスツールたちが唱えた「病原体仮説(germ theory)」と呼ばれる、病原体が感染症を引き起こすという仮説を豊富なエビデンスで完全に覆します。「病原体仮説(germ theory)」は、現代の遺伝子決定論や現代医学の治療のよりどころとなる“思想”であって、リアルサイエンスではありません。 現代医学が勃興して以来の100年以上を経過した現在も、私たちは深く「病原体仮説」に洗脳されたままになっていることは、2019/2020年の新型コロナウイルス感染症騒動(フェイクパンデミック)で明らかになりました。崎谷医師が当初から、唯一日本において新型コロナウイルス感染症の本質を見抜いていたのは、この本にある無数のリアルサイエンスを積み重ねていたからです。 この本の登場によって、私たちはようやく幻のウイルス感染症というマトリックスから解放されるときが来ました。今後はフェイクパンデミックで右往左往させられることはなくなりますので、ご安心ください。この本は焚書(ふんしょ)の対象となるリアルサイエンスですから、後世のために大切に保管して頂ければと思います。
 
 
 競馬について少し書きます。昨日はG1の大阪杯が行なわれましたが、1番人気の
コントレイル、2番人気のグランアレグリアは3位・4位とさようならでした。1・2着に来た
馬は不人気馬でした。今までどんなに強くて勝って当たり前の馬ですらこんなものです。
馬券を当てることは至難の業ですね!!!当方、本年2月7日を最後に馬券購入は
もう2ヶ月間していませんが、この間の予想は全部外れています。ハッキリ馬券を購入
しないで大儲けでした。本馬場入場(当方らのこと)も出来なくて飲食すら出来ません。
競馬はもう当方のような18歳から54年間も楽しんできた輩にとっては廃止されたような
ものです!?!このように人生での楽しみはどんどん喪失して行きます。酒も競馬も
もちろん株も、当然ですが女遊びも旅行もゴルフも今まで楽しくてしょうがなかった遊びは
全部終了しました。この年になって新たな楽しみを見つけることは至難です。
何らかな仕事すらコロナ禍の事態では見つけることは困難です。当方、この3か月間で
使ったお小遣いは1万円以下でしょうか!?!使う事も使う場所もないのだから仕方あり
ませんね!
 
 著名人にとって最近一番怖いのはコロナではなく週刊文春でしょうか!?!
ビビッている政治家も数多存在することでしょうね?当方らには全く縁がない案件ですが、
交通事故とかだけは充分に注意をするべきですね!当方など禁酒開始で失敗事は
ほぼ無くなるはずです!こんな時代で一番気を付けねばならないのは車の運転ぐらい
ですか!?! ということで週刊文春関連の記事を載せます。
 
 
 
政治家も恐れる『週刊文春』、元社員が徹底取材で書いた「裏社史」
 
 2021年も“文春砲”が火を吹いている。政治に与える影響は大きく、毎週のように『週刊文春』の記事が国会答弁に使われており、“文春国会”と表現されるほどである。
 
【写真】安倍総理が恐れ、小池百合子は泣きついた「永田町最後のフィクサー
 
 そんな『週刊文春』のターニングポイントは2016年だった。ベッキーのゲス不倫、甘利大臣の金銭授受疑惑、ショーンKの経歴詐称……。スクープ記事を連発する当時の『週刊文春』を率いた編集長は、新谷学氏。
 
 昨年12月刊行のベストセラー『2016年の週刊文春』は、文春の内幕のみならず、新谷氏に下された知られざる“3ヵ月間の休養”という名の更迭や上層部の内紛、ホロコースト否定記事を掲載したマルコポーロ事件などにも触れている。
 
 まさに、『週刊文春』を発行する文藝春秋の“裏社史”でもあるのだ。文藝春秋にいた者だからこそ、そこにも踏み込めたのか、または踏み込みざるをえなかったのか? 著者の柳澤健氏に話を聞いた。
公式見解から解き放たれた社史
 ――『2016年の週刊文春』は、“文春砲”という言葉がインターネットから広がった2016年に『小説宝石』で連載がスタートしました。連載を依頼した光文社の編集者は、当時の編集長・新谷学さんだけにスポットを当てたものを考えていたそうですが。
 
 『週刊文春』のいわゆる“文春砲”については、ジャーナリストの森健さんが2016年3月の時点でYahoo! ニュースの特集で新谷くんにインタビューをしている。だから、森さんに依頼するのが普通の流れですよね。でも、光文社の編集者と話すうちに、新谷くんの頭の中に『2016年の週刊文春』というタイトルが浮かんだ。『1976年のアントニオ猪木』や『1985年のクラッシュ・ギャルズ』をはじめ、私の本は『〇〇年の〇〇』というタイトルが多いし、それがトレードマークにもなっている。だったら、柳澤さんに書いてもらおうか、という話になったのだと思います。僕としてはどうせ書くのであれば、2016年の文春砲の話だけじゃつまらない。新谷くんのインタビューや彼の部下たちだけで終わりにするのではなく、もっと長いスパンや広い視野で文藝春秋という会社と『週刊文春』という雑誌を浮き彫りにするような本が書きたいと思った。
 
 だったら、新谷くんのほかにもうひとり主人公がほしいな、と考えたら「ああ、花田(紀凱)さんがいるじゃん!」って。1988年から1994年にかけて『週刊文春』の編集長を務めた花田さんは78歳、新谷くんは56歳。20歳以上も離れたふたりの編集長を主人公、あるいは狂言回しにすれば、文藝春秋の歴史も『週刊文春』の移り変わりも書きやすい。
 
 ――文藝春秋を創刊した作家の菊池寛も、非常に魅力に溢れた人物として登場しますね。
 「スター・ウォーズ」もアナキン・スカイウォーカーからルーク・スカイウォーカー、レイ・スカイウォーカーへと主人公が変わったり、交差したりするじゃない。そのような一種のサーガとして『週刊文春』の60年と「文藝春秋」の100年を書こうと。創設者である菊池寛の時代、三代目社長を務めた池島信平の時代、田中健五、半藤一利花田紀凱と『週刊文春』歴代編集長それぞれの時代、新谷学の時代といった風に。だいたい、菊池寛はとんでもなく面白い人。日本麻雀連盟の初代総裁で、日本で初めての麻雀牌はなんと文藝春秋牌っていうんですよ。そんな麻雀好きの男が作った会社が、黒川弘務前東京高検検事長の賭け麻雀をスクープしちゃった(笑)。編集者の面白い話もいっぱいある会社だし、田中角栄研究から疑惑の銃弾から地下鉄サリン事件から森友文書の改竄で自殺に追い込まれた財務相職員の手記まで、事件もてんこ盛り。濃いエピソードをギューギューにつめこみました。
 ――たしかに〈面白い社史〉にもなっています。内々なものを含めて文藝春秋も社史を出していると思いますが、「マルコポーロ」のホロコースト否定記事をめぐる事件などについては触れているのでしょうか? 
もちろん社史はあるし、『マルコポーロ』のことも書いてありますよ。ただし、公式見解になっていて、そこから出られていない。例えば『マルコポーロ』の事件だと、サイモン・ウィーゼンタール・センターの講師が文藝春秋にやってきて、ナチスユダヤ人にどんなに酷いことをしたかっていう講習会を開いたんです。社員100人を集めたのかな。その時に私は『Number』にいたから出席しなかったけど、花田編集長以下、『マルコポーロ』編集部は、全員がセミナーに出席していた。その席で、西川清史さんは「私たちは“言論には言論”と教わってきました。ですから、問答無用で広告を引き上げさせるという強引なやり方には大いに疑問を持っています。その点に関してサイモン・ウィーゼンタール・センターはどのようにお考えなのでしょうか?」と発言した。その部分は社史には書かれていません。社史は公式見解しか書けないからおもしろい物にはなり得ない。『2016年の週刊文春』は、一種の稗史であり、文藝春秋の公式見解から解き放たれた社史なんです。だからこそ、西川さんの発言も書きました。 もうひとつ〈面白い社史〉になった要因は、文藝春秋が突出してユニークな会社であるということ。日本という国家と密接な関わりを持っているとでもいうか。時の総理大臣を辞任に追い込んだとか、元少年Aの住まいをつきとめて直撃したなんてエピソードがゴロゴロあるわけですよ。そんなことは、他の会社ではまずありえない。
 
元社員として取材するということ
 
 ――柳澤さんが文藝春秋の元社員だからこそ、取材がやりやすかったし、書きやすかったところは大きかったと思います。だけど、同じくらいやりにくかった部分もあったのではないかとも思うんです。
 
 やりやすかった部分は、一緒に仕事をしていた人が多いから、向こうも私がどんな人間かをわかっている点です。文藝春秋に偏見を持っていないし、恨んでも憎んでもいないことを理解している。だから、話をしやすいわけですよ。あと、もうひとつ大きいのは私が文春から『1976年のアントニオ猪木』や『1985年のクラッシュ・ギャルズ』を出していること。やっぱり執筆者に邪険にはできないでしょ(笑)。
 
 私は鈍感なので、やりにくい部分は、そんなには感じなかった。取材者としての経験も積んでいるので対象者の話したくないことは察することができますからね。文春社内でも、「明日会いましょう」と言っていたのにドタキャンされて、そのまま音信不通になったり、「取材を受けるのを1日だけ考えさせてくれ」と言われて結局断れたり、ということはありましたけどね。連載時に、ある人の発言を載せたら別の人から「あの発言は許せないから訂正しろ」と言われたな。当然だけど、「それは無理」と断りました。
 
 ――それは横槍と捉えてしまってもいいですか。
 
 いやいや、そんな仰々しいものじゃない。その発言は事実とは異なるから、違う人物にも取材をしたうえで訂正してくれという程度。でも、書くべきことは書かないと。新谷くんと花田さんを主人公もしくは狂言回しにして、『週刊文春』60年、「文藝春秋」100年の歴史を紐解いていくのに、会社の失敗もトラブルも内紛も触れないわけにはいかない。糾弾するためではなく、彼らが関わってきたことを正確かつ愛情込めて書いたつもり。「親しき仲にもスキャンダル」って名言だけど、それをやるのは心情的になかなかしんどいんですよ。
 ――取材された場所も気になります。文藝春秋を退職した方に話を聞くならば自宅にお邪魔すればいいのでしょうけど、さすがに現役社員の方々を会社内で取材するというのは……。際どい話も出るでしょうし。
 
 普通に文藝春秋の談話室とかで取材してましたよ。新谷くんの取材は、役員会議室だった。隣は社長室なのに、いいのかな、と思いましたけど(笑)。別に後ろめたいことがあるわけじゃないから、基本的には言いたいこと言うんです。話はするけど俺の名前は伏せてくれって人も実際にいました。そんなに構える内容でもなかったんだけどな(笑)。
 
 ――『2016年の週刊文春』に対する、文藝春秋の元社員、現役社員の方々の反応には、どのようなものがありましたか? 
 ある現役社員は「内紛というのは書きづらいけど、できるだけフェアに書こうとしているのが良くわかる」と言ってくれました。もう私は外部の人間だけど、それでも、文藝春秋を愛しているのを感じとってくれていると思います。あと、「こんなこと会社にいるけど知らなかった、あの人がこんなことをしていたなんてびっくりしました」とも言われた。私自身も、同じ編集部にいたのに知らなかったことがたくさんありました。もちろん、私の書いたものを面白く思っていない人も絶対いるでしょ。でも、そういう人はなにも言ってこないから、私の耳には入ってこないんです(笑)。
 
 (後編「あらゆるメディアが『週刊文春』に負け続ける『決定的な理由』」につづく)
平田 裕介(ライター)
 
 長くなりましたが本日はここまでです!当方にとって心配ごとは車の事故ぐらいです。
充分気を付けて運転することにします。