PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1496                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年9月4日(土)、現在は朝の7時25分です。
 
 昨日も今日も雨降りです。明日は一日中曇天で翌6日から5日間ほどは晴天
が連続するようで、秋晴の清々しい思いが出来そうです。
 昨日から開始された我が家の普請ですが、昨日は家中の外壁塗装のための
足場組が簡単に終了し、本日の予定は洗浄ですが、雨降りなので励行するか
どうかは?です。
 昨日というか夕方以降ですが、本降りの降雨でもこの時期特有の秋の涼虫の
鳴き声が煩いぐらいです。明後日以降は好天となるので虫の鳴き声も一段と大きく
なりそうで当方的には待ち遠しい限りです。
 
 では、コロナ感染に行きますが、減少傾向連続ですが、識者はこの後は夏の
お盆での人流増加の影響が出て感染数再度増加傾向…と、予想しています。
そう間単にはコロナ菌は退きそうにありませんね。
 昨日感染ですが多い所だけ列挙すると都で2539人、全国では16738人と出ました。
大阪が2305人、兵庫は870人です。福岡が732人、愛知1720人、近在の神奈川は
1869人、千葉で1163人と出ています。沖縄は507人というあたりが多めの場所です。
 
 本日の添付に行きますが、昨日の午前中に驚きのヒョットコ馬鹿退陣というニュースが飛び
込んで来て、昨日の午後からはこの件と自民党の新総裁選出の話題だけで終始してしまい
ました。ヒョットコ馬鹿と云う造語ももう使えなくなるのかと思うと、やや寂しい気もして来ますが、
当たり前と言えば当たり前です。ザンネーン…とは言えません!!!
 
 
 では植草氏からです。
 
 
 
 
植草一秀の『知られざる真実』」
 
                             2021/09/03
 
           菅なき後最重要イベントの総選挙
 
               第3022号
9月1日付メルマガ記事
「国会召集しない菅内閣を粉砕」
菅義偉氏の総裁選からの撤退さえ可能性として浮上する」
 
と記述した通りの現実が出現した。
 
菅義偉氏が辞意表明した。
 
「天網恢々疎にして失わず」
 
天の網は機能した。
 
1年間の失政に次ぐ失政を踏まえれば順当な結果。
 
日経平均株価は菅氏の辞意表明で300円程度上昇した。
 
ここに枝野幸男氏の立憲民主党代表辞任表明が重なれば日経平均株価が100
0円急騰してもおかしくない。
 
菅義偉氏がコロナ失政の元凶であったことが改めて浮き彫りになった。
 
メディアは自民党総裁選報道一色になる。
 
新政権が発足すれば高い支持率でスタートするのが常。
 
メディアが人為的に支持率を押し上げる。
 
自公政権崩壊を回避するために菅義偉氏の辞任を誘導した支配者が存在すると
見られる。
 
大事なことは日本の主権者国民が衆院総選挙で正しい選択を示すこと。
 
そのために何よりも重要なことは野党の適切な行動だ。
 
自公政治を退場させる。
 
そのためには、自公に対峙する勢力に国会過半数議席を付与することが必要に
なる。
 
共産党志位和夫委員長は8月28日のオンライン講演会で
 
「市民と野党の共闘を成功させて政権交代を実現し『野党連合政権』をつくる
ことがどうしても必要だ」
 
と述べた。
 
志位氏は「連合政権」について次の説明をしている。
 
「私が、6年前から「連立政権」と言わずに「連合政権」をつくろうと言って
いるのは、「連立政権」とは一般に内閣に閣僚を出す「閣内協力」を意味する
のに対して、「連合政権」は「閣内協力」だけでなく「閣外協力」も含むから
です」
 
「政策連合」(=オールジャパン平和と共生)
 
は基本政策を共有する政治勢力が連帯して「政策連合」を樹立して候補者一本
化を実現することを提言している。
 
野党各党ならびに立憲民主党執行部各氏に対して申し入れも行った。
 
基本政策は
 
1.平和主義の堅持
2.原発ゼロ
3.共生の経済政策
 
日本の支配者は米国を支配する勢力。
 
敗戦後日本を支配し続けてきた。
 
この支配勢力は日本政治の基本政策を
 
1.日本の軍隊を米軍の指揮下に置き、日本を「戦争をする国」にする
2.原発稼働の推進
3.弱肉強食奨励の経済政策
 
とすることを強要している。
 
自公政治は米国の命令に服従するもの。
 
自公政治に対峙する勢力が一つにまとまると日本で政治刷新が生じる恐れが高
まる。
 
そのために、米国の支配者は野党分断戦術を実行している。
 
その核心は、野党勢力の中に「隠れ自公勢力」を潜伏させて野党勢力を分断す
ること。
 
その工作活動を展開しているのが「連合・6産別」と「国民民主党」。
 
「連合・6産別」とは大企業御用組合連合のこと。
 
電力、電機、自動車、鉄鋼、その他繊維、機械、金属、流通の大企業御用組合
の連合体だ。
 
労働組合の連合組織である「連合」の主導権を「連合・6産別」が握ってい
る。
 
問題は野党第一党立憲民主党代表の枝野幸男氏が「連合・6産別」に支配さ
れてしまっていること。
 
このために共産党を含む野党共闘構築が実現していない。
 
総選挙は目前である。
 
市民運動野党共闘を妨害する「隠れ自公勢力」排除に動く必要が生じてい
る。
 
「政策連合」は基本政策を共有する政治勢力による共闘の下に選挙区での候補
者一本化に向けて行動を開始する。
 
菅内閣に余命10ヵ月の宣告が示されていた。
 
今回もこの宣告が的中する経験則が現実のものになった。
 
菅義偉氏が失敗した主因は、国民の利益ではなく自分の利益を優先し続けたこ
と。
為政者としての最重要の基本を欠いていた。
 
Gotoトラブル事業の強行、
 
コロナ水際対策の妨害、
 
国民の命より五輪の優先、
 
のすべての施策が国民の利益よりも自分の利益を優先した結果として実行され
た。
 
その誤った政策運営により国民の利益が損なわれた。
 
コロナ大失政で少なくない人数の国民が見殺しにされた。
 
コロナ対応で必要な施策の基本は以下の三つ。
 
1.国民に対する必要十分な医療の提供
 
2.検査と隔離の徹底
 
3.正確な情報の周知
 
何よりも重要なことは第一の「必要十分な医療の提供」。
 
すべての発症者に対する「入院」、「宿泊療養」が必要不可欠。
 
中等症以上の感染者に対しては迅速な入院治療が必要不可欠。
 
昨年2月の騒動発生から1年半の時間が経過した。
 
政府が明確な意思を持てば、この課題を克服することは十分に可能だった。
 
補正予算で73兆円の真水を投入した。
 
資金も十分に確保していた。
 
しかし、菅内閣は必要十分な医療を供給する行動を取らなかった。
 
その一方で有害無益のGotoトラブル事業を推進し、断念するしかなかった
五輪開催を強行した。
 
そもそもの誤りは「検査と隔離」の基本を実行しなかったこと。
 
「感染研-衛生研-保健所」の「検査利権ムラ」が検査を独占するために検査
の開放を妨害し続けて現在に至る。
 
「検査利権ムラ」は検査を独占することにより莫大な財政資金を獲得した。
 
ダイヤモンドプリンセスの惨劇が日本全土を舞台に再演された。
 
コロナに関する正確な情報の提供も行われなかった。
 
菅内閣が実行したのは
 
1.恐怖を煽る情報流布
 
2.恐怖の感染症としてのコロナの法的位置付け
 
3.ワクチン強要のワクチンデマ流布
 
だった。
 
コロナに感染した人は昨年2月からの累計で全人口の1%に過ぎない。
 
99%の国民は感染していない。
 
しかも、感染が確認された1%の人の大半が無症状または軽症者。
 
コロナで死亡した人は全人口の0.012%。
 
しかも、この数値は死亡したコロナ陽性者の数で、コロナが主因で死亡した人
の数ではない。
 
感染第5波では陽性者が急増したが、感染者当たりの死者数は感染第3波と比
べて大幅に減少した。
 
コロナ治療方法が確立されつつあることに加えて、ウイルスの毒性が低下して
いると見られる。
 
この状況下で全国民に対して、安全性が確認されていないワクチン接種を強要
することは犯罪的。
 
実際に、ワクチン接種後急死者、ワクチン接種後重篤化者が多数確認されてい
る。
 
接種人数あたりのワクチン接種後急死者数は季節性インフルエンザワクチンの
約1000倍に達している。
 
ワクチン接種後重篤化率は0.01%でコロナ死亡確率0.01%と同水準。
 
コロナに感染もしていないのに重篤化してしまう確率がコロナで死亡する確率
と同水準なのだ。
 
ワクチン接種後急死、ワクチン接種後重篤化に関する情報はすべての国民に周
知する必要があるが、政府はほとんど広報しない。
 
ワクチン接種のリスクを指摘する情報のすべてが「デマ」だとする「デマ」を
政府が流布してきた。
 
国民は自民党総裁選騒ぎに巻き込まれるべきでない。
 
それよりも、次の総選挙で日本政治を刷新するために、自公政治に対峙する政
治勢力による衆議院過半数議席確保に全力を挙げるべきだ。
 
政党だけに任せられない。
 
市民が主導して候補者一本化を実現しなければならない。
 
 
 
次に五木寛之氏のほぼ連日掲載する日刊ゲンダイのコラムから”仏の顔も三度”
という題の記事に行きます。少し長いですが読んで下さい。
 
 
 
 
 
連載11208回 仏の顔も三度、とは? <1>
 
公開日:2021/08/30 17:00 更新日:2021/08/30 17:00
 
<入院が できたと聞いて おめでとう>
  誰の作か忘れてしまったが、思わず笑ってしまった。さすがに川柳は乱世の芸術である。
  後世の人は、たぶん、この句を聞いても何のことだか判らないのではあるまいか。
  昨日の新聞には渋谷だかどこだかに都が立ちあげたワクチン接種の会場のニュースが、小さく報じられていた。午前何時かには、駆けつけた若者の行列ができていたという。
  予想外の若い人の群れが殺到して、行列が1キロも続いたらしい。それで慌てて7時半には受付けを締切り、抽選に変えたというのだから笑ってしまった。
  なにしろ1日に何百人とかいうスケールだそうだ。大規模接種会場というから、何千人、何万人かに24時間フリー対応する施設かと思っていた。おそまきながら都もようやく本気で取組むつもりかと勝手に感心していたのである。
  若い人たちもひっくるめて、だれもがワクチン接種を望んでいるのだ。米国などの思想的、信仰的、はたまた反抗的ワクチン接種反対論者とちがって、溺れる者は藁にもすがりたいものである。なにしろ感染して高熱を発し呼吸困難になっても入院できないのだから。
<入院が できたと聞いて おめでとう>
  私も高齢者なのでワクチン接種はすでに受けた。
「イツキさんは、どのブランドですか」
「ぼくはあまりブランドにはこだわらないほうで」
「服の話じゃなくて、ワクチンですよ」
「ああ、たしかモデルナとかいう話だった」
「それは大変。鉄片、大丈夫ですか」
「ノー・プロブレム。あなたは?」
ファイザーです」
ファイザーねえ。そっちも問題ありという専門家もいる」
「いずれにしても、ワクチン打つのは感染予防のためじゃないですから」
「え? それじゃ何のためにわざわざ打つの」
「感染しても比較的重症化しにくいって話です。なにしろ高熱がでて息が苦しくなっても、なかなか病院にはいれないんだもの」
「自宅療養とかいうと口当りがいいけど、あれはキミンだね」
「キミン? なんですか、それ」
「棄民。別の言い方をすれば、自助、となる」
  仏の顔も三度まで、とか。ワクチンは何度まで?
  (この項つづく)
 
  ――協力・文芸企画
 
連載11209回 仏の顔も三度、とは? <2>
 
公開日:2021/08/31 17:00 更新日:2021/08/31 17:00
 
(昨日のつづき)
  仏の顔も三度どころか、緊急事態宣言はすでに四度目である。
  緊急事態というからには、もう少し緊張感が欲しいところだが、世間は一向にピリッとしていない。
  それどころか、コロナ慣れというか、コロナずれというか、どこかにのんびり感さえ漂う。
「接種はすみましたか」
  というのが、挨拶になってしまった昨今だが、二度あることは三度ある、で、どうやら三度目のブースター接種が現実味をおびてきた。
  私の場合は高齢性不感症で、二度目のモデルナもぜんぜん副反応がなかった。
「ワクチンの種類はなんでした?」
  と、昨日、きかれた。
「たしかモデルナだったと思う」
「ぜんぜん何ともなかったですか?」
「ぜんぜん反応なかったね」
「それはおかしい。二度目のモデルナは発熱するのが正しいそうですよ。なにしろ軽くコロナに感染するんですから。ぜんぜん副反応がないってことは、効き目のないワクチン打ったんじゃないですかね」
「海千山千の昭和ヒトケタ派だから。道ばたに落ちてる物でも拾って食べた戦後世代だ。野性的な免疫が身についているのさ」
「そんな強がりを言って、年寄りは感染したらイチコロですから。覚悟しておいてください」
  そう言われると強がってみせながらも、少し心配になってくる。
  まったく熱が出ず、頭痛も、倦怠感もなかったということは、ひょっとしてワクチンが効いていない証拠ではないだろうか。
  軽く七度ちょい位の発熱があったほうが安心かもしれない、と、逆に不安になったりするのである。
  明日は岡山へ行く。ひさびさの講演である。主催者側は最後まで迷っていたらしいが、結局、防疫体制を強化して実施することに決めたらしい。会場には入場制限をして、同時にリモート配信を行うとか。どうやらあちこちでコロナ休業にしびれを切らして、工夫してなんとか催しをやる空気が出てきたようだ。
  来月には横浜で精神科医師の集りで話をする予定がはいっている。テーマが『アンコンシャス・バイアス』についてというのも、ご時勢というものだ。コロナ完全退治は諦めて、共生社会を作るしかないと皆が思いはじめたのかもしれない。
  (この項つづく)
 
  ――協力・文芸企画
 
連載11210回 仏の顔も三度、とは? <3>
 
公開日:2021/09/01 17:00 更新日:2021/09/01 17:00
 
(昨日のつづき)
  空の気配はすでに秋である。
  空を眺めることなどめったにないが、ステイホームとあって、窓からぼんやり雲の行方を確かめたりする時もないではない。
  考えてみると、空の雲の行方を眺めたりする機会は、この何十年か一度もなかったような気がする。ほとんど人の顔ばかり見て暮していたのだ。
  それがこのところ、電話かメールでしか人間と接する機会がない。いくらマスクをしても、やはり対面の会話は避けたほうがいいらしいのである。ソーシャルディスタンスも、いまや2メートル以上離れていなければ駄目だという。一緒にお茶を飲んだり、食事をしたりするのはもってのほか、と言われると、人と会う意味がなくなってしまう。
「ワクチン打った?」
  とか、
「副反応はどうでしたか」
  などと言葉少なに会話したりするくらいなら、いっそ長電話のほうが気が楽だ。
  それでも慣れというのはおそろしいもので、部屋にいてもトイレに立った時に無意識にマスクをしたりする。
  先日も電話に出るとき、ふとマスクをかけそうになって苦笑した。そのうちコロナが終息してもマスクを手離さない人が出てくるかもしれない。マスクが習性になって、マスクをしていないとパンツをはいていないような気分になる人も出てくるのではないだろうか。
  習性とはそういうものである。そもそもこの国には、古来、口もとを隠す文化というものがあった。芝居にでてくる昔の女性は、オホホと笑うときに口に手を当てて笑ったものである。今では祇園の舞妓さんも、大口あけてガハハと笑う向きもあるらしい。
  テレビをつけると笑いの氾濫である。五輪は涙の氾濫だった。笑いも涙もフラストレーションの解消には大いに役に立つ。これだけ笑いと涙が氾濫しているということは、世の人びとが、よほどの抑圧を抱えていることの証拠だろう。
  そういえばマスクをかけたCMタレントは見たことがない。「マスク、手洗いだけは絶対に忘れないでください」などとニュース・キャスターが念を押した直後に、完全マスクなしのCMタレントが笑顔で登場するのも妙な感じだ。
  人に対面することなく日々を過ごしていると、つい八つ当りしたくなってくる。窓から雲でも眺めているほうが無難だろう。やれやれ。
  (この項つづく)
 
  ――協力・文芸企画
 
連載11211回 仏の顔も三度、とは? <4>
 
公開日:2021/09/02 17:00 更新日:2021/09/02 17:00
 
(昨日のつづき)
  1泊で岡山へ行ってきた。緊急事態宣言のさなかに県をまたいで移動するのは気が引けるが、2回目のワクチン接種も終えて体調も悪くないことだし、ちゃんとマスクをしていけば大丈夫だろうと、思いきって出かけることにしたのである。
  用件は不要不急の講演のためだ。山陽新聞社が主催する文化セミナーに出講する約束があり、コロナ禍で実施があやぶまれていたのだが、十分な対策を講じた上でやることになった。コロナ退散がそう簡単でないとわかった以上、文化活動をいつまでもストップしているより、智恵をしぼって安全安心の催しを実行すべきだと積極策に打って出たようだ。
  このところ、次第にそういう動きが胎動しはじめた。来週は横浜で精神科の先生がたの学会で話をすることになっているし、10月にも、地方での講演がはいっていたはずだ。
  本土決戦ではなく、ゲリラ的持久戦に持ちこもうという風潮が出てきたらしい。コロナが通りすぎるのを、じっと身を低くして待っているわけにもいくまい、と、不要不急のカルチュアが新たな作戦に転じた気配がある。
  もうコロナは一過性の災厄ではない。私たちは終りなきコロナ的日常を生きるのである。それこそが流行り言葉でいうなら、ニューノーマルなのだ。
  とかなんとか偉そうなことを言って出かけたのはいいが、30年愛用してきた腕時計がおくれていて、予定の新幹線に乗りそこねてしまった。これほど忠実だった腕時計も狂うのか。これもコロナのせいだろうか。なんとか別の新幹線で岡山へたどりついた。ホームに山陽新聞の平井氏が迎えにきてくれている。
  なんでも17年前に私が岡山で講演した際も、若手社員としてエスコートしてくれていたらしい。当時の新聞記事のコピーを見せてもらったら、髪の毛がまだ黒かった。夕食は駅ビルの食堂街でとんかつ定食。
  夜、『伊藤比呂美歎異抄』(河出文庫伊藤比呂美著)を読み終えて寝る。米国の旅の紀行と、『歎異抄』『和讃』『正信念仏偈』などの現代語訳が交互にでてくるユニークな構成だが、なるほど、詩人が親鸞の言葉を訳するとこんなふうに自由になるのかと感嘆。
  以前、藤原書店から石牟礼道子さんの著作集がでたとき、短い文章を寄せたことがあった。その折り、石牟礼さんからの礼状のなかに、「われ一人のための親鸞」という言葉があったことを思い出した。午前1時に就寝。
  (この項つづく)
  ――協力・文芸企画
 
連載11212回 仏の顔も三度、とは? <5>
 
公開日:2021/09/03 17:00 更新日:2021/09/03 17:00
 
(昨日のつづき)
  東海道新幹線の岡山から新横浜までの車中で、私の車両に乗っていた客は9人だった。私以外は8人である。
  緊急事態宣言は、ある程度の効果があるのだろう。どの車両も乗客は少いようだ。
  ところが驚いたことに、トイレにいく際にチェックしたところ、8人の乗客の全員がスマホを手にしている。それぞれ各人各様のスタイルでスマホに見入っているのだ。
  これにはさすがに感ずるところがあった。
  車中で雑誌を読んでいたのは、私ひとりである。げにスマホの時代なるかな、と感嘆せざるをえない。
  ある新聞社の人に、
「おたくの新聞では、およそ何歳ぐらいの人を読者の中心と想定して紙面づくりをなさっているのですか」
と、たずねたら、言下に、
「65歳をメドに編集しています」
  と、いう答えが返ってきた。
  現在のメディアの世代別の分布状態は、大きく分けて3ブロックが考えられるように思う。青少年層がスマホ。中年層がテレビ。高齢者が新聞。
  まあ、個々の現実はさまざまだろうが、およそ現在のメディアの分布図はこんなところだろうか。
  私はいくつかの新聞にコラムを書いているが、かなり多くふり仮名をつけるほうである。
  ちょっとした漢字の表現を使うときには、かなりルビを振ることが多い。「群青」と書いて「ぐんじょう」とルビをつけたら、「それくらい若者でも読めますよ」と注意されたことがある。逆に「正鵠」という字をそのままにしておいたら、「ルビを振ったほうがいいですね」と言われた。書くほうとしては読者の年代を無意識のうちに想定して書かざるをえないのだ。
 
私は人前で話をするときには、できるだけ黒板やホワイトボードを使用しないように気をつけている。できれば全くボードに文字を書いたりすることなく話を終えたいのだが、これがなかなか難しいのだ。ことに人の名前などになると、口で説明しても伝わらないことが多い。「アケガラスハヤ」などと耳で聞いても、なんのことだかピンとこない人もいるだろう。「明烏敏」と書いて、ようやく伝わるものなのである。
  表現が世代で分裂すると同時にメディアも、スマホ、テレビ、新聞、とそれぞれ区別されている。厄介な時代になったものだ。 (この項おわり)
  ――協力・文芸企画
 
 
 以上でした。
 
 
 昨日は雨降りもあり近所の整形外科クリニックでのリハビリは休みました。
今日も雨降りですが徒歩でリハビリのための往復をしてくる予定です。
 本日は女房の仕事でのお迎えがあるので夜は一応仕事・・・という事になります。
 
 昨日終わった我が家の外壁工事のための覆いですが、昔と違い、透明な素材なので
まったく暗くありません。幕が無いような感覚です。これなら今後の3週間ぐらいは
我慢が出来そうです。吹付で煩いのは仕方ないでしょうか(?)そのくらいは我慢します。
巣篭り様に昨日も1冊アマゾンから単行本を取り寄せました。本代が嵩みますが、
外飲みや家飲みすらない現状では安いものです。昨日でも1人お昼は丸亀製麺
かけうどん(てんぷら1個)で360円でした。安いものです。今日は女房に弁当を
作ってもらいそれで我慢です。
 
 量子物理学は明日以降にします。
 
 
 
    では、また明日・・・・・