PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1497                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年9月5日(日)、現在は朝の8時前ぐらいです。
 
 このところの降雨はまたぞろ激しいものですね!どうも本年は晴れでも雨でも
結構長めに連続することが当たり前のような感じになっています。この雨も今日と
明日まで続き、火曜日こそ晴れますがまたその後は曇が続くようです。それでも
この週間予報は毎日変化しますのでまったく充てになりません。天気予報と銘打って
公表できるような代物ではないでしょうね!?!
 
 昨日は午前中に外壁の洗浄は終了しました。今日から3日間は業者の都合で
休み、本格的な壁塗り作業は水曜日からということになります。天気予報はあまり
良くない様なので逆に有難いかもしれません。
 
 コロナ禍における感染状況に行きます。昨日の都では2362人、全国では
16012人と出ました。大阪は東京と変わらない2353人と出て、兵庫は755人です。
福岡が643人、愛知は多くて1776人と出ています。近在では神奈川が1633人、
千葉1204人、埼玉が1075人となって、沖縄で558人といったところです。
 この減少傾向が何時まで続くのか?ですが、今日あたりからまた増加に転じそうな
気がしています。
 
 あまりこのPNCには書きませんが、毎週一応は馬券は買っています。連続して勝利
というようなことは無く、またぞろ資金が枯渇寸前まで来ています。きょうは取りたいところです。
 競馬の話はあまりしたくはありせん(負け続きなので)が、大相撲はもう1週間後に9月場所
が始まります。9月は両国国技館で9月12日から9月26日までの15日間となります。
あまり期待はしていませんが、例のワンピー姐さんの去就だけが当方の最大関心事です。
この2週間は当然外壁塗装の毎日となる予定ですので逆に相撲ばかり見ていて塗り壁の
仕事も終わってくれることを期待しています!
 
 
 今日の添付は恒例の週末コラムで御三方の記事を載せます。
 ①敵菜収 ②井筒和幸 ③三枝成彰 ・・・の各氏です。
 
 
 ①敵菜収
 
 
 
来たる総選挙は日本が完全に終わるか、自民党が終わるかの二択
 
高市総務相(左)はアベノミクス路線継承とバージョンアップを掲げて総裁選に(C)日刊ゲンダイ 
 
 安倍晋三のツイートを見て驚いた。ナチス礼賛で有名な高須克弥のツイートに対し「高須先生。素敵です。」とリプを返していたからだ。このツイートとリプ自体に問題があるわけではないが、愛知県の不正リコール問題に関与していた陰謀論者のネトウヨに元首相がこうしたメッセージを送ることは国際社会にどのように映るのだろうか?
 
  高須は過去にこんな発言を繰り返している。
 
「(日本では)堂々とナチス本も出版できる。めでたいことだ。♪盟友ナチス♪」
 
「ドイツのキール大学で僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授にお会いした」
 
「彼(ヒトラー)の発言では高潔な人物のように思えますが、皆さんはどう思われるだろうか?」
 
「南京もアウシュビッツも捏造だと思う」
 
安倍の周辺はこんなのばかりだが、安倍の総理復帰を猛烈にプッシュしていた高市早苗も同類だ。2014年9月にはネオナチ団体代表とツーショット写真を撮っていたことが発覚。高市は「思想信条が分かっていたら、会いもしなかったし、写真も撮らなかった」と釈明したが、過去にナチス礼賛本「HITLER ヒトラー選挙戦略」に推薦文を寄せていたことも判明。著者は自民党東京都支部連合会事務局広報部長だった小粥義雄だ。
 
  13年7月、麻生太郎憲法改正をめぐるシンポジウムに出席し、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と発言。17年8月には、派閥研修会で「(政治は)結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と述べている。ヒトラーの動機は正しいらしい。要するにナチス礼賛は現在の自民党の体質によるものであり、連中はうっかり本音を漏らしただけだ。
 
 高市菅義偉自民党総裁任期満了に伴って行われる予定の総裁選に出馬を表明したが、アベノミクス路線の継承とバージョンアップを掲げて戦うとのこと。安倍周辺のいかがわしいメディアやお馴染みのネトウヨ言論人も高市を礼賛していたが、いつまでこの類いの連中に政治をやらせるつもりなのか。
 
  次の選挙は日本が完全に終わるか、自民党が終わるかの二択になるだろう。
 
 
 ②井筒和幸
 
 
 
 
アウシュビッツの映画こそ日本人には特に薦めたい
 
 自民党総裁の座布団が誰が回ろうが、何も起きないしどうでもいいぞ。それより、若者たちに早くワクチンだろが。都内の臨時会場に朝から並ばせておいて、揚げ句に「抽選」なんてマヌケなことをやらかしていたが、呆れて二の句が継げなかった。そもそもあんな頼りないワクチン大臣一人に任さないで、何か他にもっと手配できなかったのか。誰一人「責任は私が取る」と言ったことなどないし、なりゆきばかりみている“お伺い”政治ばかりしてきたムラ社会でみんなで和することしかしない国だから、だ。
 
  今の若者もよく我慢できるもんだ、よく暴れ出さないもんだ。1960年代末期の若者だと間違いなく暴れていたな。総裁選なんかやってる場合か。
 
  ウイルスは居座っているが、夏はもう終わりかけだ。今年は「日本の戦争」についての映画は何もなかったが、ユダヤ人迫害の悲惨極まりそうな「ホロコーストの罪人」というのが、残暑に合わせたように公開された。「これを見ないでやり過ごす気か」と言われてるようで気になった。
 
アウシュビッツ収容所の関係者らの証言を撮った9時間30分の一日がかりのドキュメンタリー「SHOAH ショア」(1985年)や、収容所の虐殺を手伝わされたゾンダーコマンドの酷い姿を追う「サウルの息子」(2015年)など、ナチスを断罪する作品は今まで見てきたので、もう見たくなかったのだが、このノルウェーの新作では、自国の警察署や一般人がユダヤ人強制移送に加担し、ユダヤ人一家が引き裂かれた実話が初めて明かされるというので、これも映画屋の義務だと思って見たのだ。やっぱり、やりきれなかった。ひとえに出演者ら全員の演技が迫真で胸がつまる。ナチスドイツ占領下の自国の大罪を、自国の映画人たち自らが暴いていた。貨車でアウシュビッツ送りになる場面を見るたびに思うのは、ユダヤ人の差別はなぜなのか、旧約聖書でモーゼが虐げられたヘブライ人を連れてエジプトを脱出した話もだが、迫害の歴史はいつまで遡ればいいのか、ユダヤ教徒は彼らの唯一神と何を契約したかとかだ。昔の「十戒」(1956年)を見直してもなかなか分からないのだが。
 
何年か前、ポーランドの映画祭に招かれた折、主催者の計らいで、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所跡に行かせてもらった。ヒトラーとナチがユダヤ人などの絶滅政策(ホロコースト)をどう遂行したのか、ガス室をはじめ、すべて見せられた。
 
  帰路、パリの空港で、日本のバラエティー番組のロケ隊と出くわし、一緒にいた有名アイドルグループの一員の若造に「どこに行ってきたんすか?」と聞かれ、「アウシュビッツ世界遺産だわ」と答えると、若造が「フランスの? 面白い所ですか?」と言うので、話すのが嫌になり「スマホで見ろ」と別れた。
 
  これからもアウシュビッツの映画はまだまだ作られるだろう。日本人には特に薦めたいものだ。この力作もお薦めする。
 
 
 
三枝成彰
 
 
 
 
タリバンが政権を奪取 戦争はいつの時代もかたちを変えて現れ続ける
 
公開日:2021/09/04 06:00 更新日:2021/09/04 06:00
 
 死ぬことを恐れない相手ほど、怖いものはない。それはどんな武器よりも強いからだ。なぜ最新装備の米軍がアフガニスタンからの撤退に至ったのか? そこには武器の優劣にかかわらない戦いがあったのだと思う。
 
  思えばアフガンは100年以上前から、西欧諸国にとっては勝てない相手だった。最初は英国だ。1838年ロシア帝国中央アジア進出に先んじるため、アフガニスタン東インド会社の軍隊を派遣した。だがパシュトゥーン人を主体とするアフガン軍の激しい抵抗に遭い、2度にわたる戦争でいずれも勝てなかった。第1次世界大戦後の第3次アフガン戦争でも英国は反乱軍に苦しめられた揚げ句に休戦。そしてアフガニスタンは独立を勝ち取った。
 
  その次はソ連だ。1979年、王政から社会主義に政治体制が変わったアフガンでは、イスラムの戦士ムジャヒディンたちの反発が続いていた。ソ連にとって同国は中央アジアへの進出拠点で、そこから自国にイスラム原理主義が入り込むことを恐れ、軍事侵攻に踏み切る。ただし戦況は思わしくなく、89年の撤退まで苦しい戦いが続いた。
 
2001年には米国で9・11テロが起き、首謀者をかくまったとして米英軍がアフガニスタンを攻撃、新たな紛争へとなだれ込んだ。
 
  そして現在――。崩壊したはずのタリバンが再び息を吹き返して政権を奪取、アフガン全土を掌握するに至った。こうした経緯から見て、イスラム原理主義を掲げる人たちに西洋社会の常識が通用しないことは明らかだ。宗教や民族意識に突き動かされて行動する相手にはかなわないのだ。
 
  何より彼らは死を恐れない。ジハード(聖戦)という言葉が象徴するように、命を懸けて自治独立を保つことはイスラムの教えにかなっており、聖なる戦いにおける死は最高の栄誉だと考えている。
 
  私たち日本人も、かつてはそうだった。旧日本軍の特攻隊に、米兵たちは恐怖したという。命を賭して戦闘機ごと敵艦に体当たりして死ぬなど、彼らにはありえないことだった。
 
ベトナム戦争でも、ごく普通の村民が神出鬼没のベトコンとなり、各地で米軍を苦しめた。その結果、苦渋の撤退と和平協定だ。
 
  現代の北朝鮮にもそれに通じるところはあるのかもしれない。朝鮮戦争当時の中国軍もそうだった。
 
  米中関係について言うなら、米国は中国が豊かになれば自分たちと協調できる民主国家になるだろうと考え、支援してきた歴史がある。だが、そうはならなかった。中国は富と力を手にして、米国的な民主主義に対抗する独自の新しい体制を打ち出し、行動し始めた。その米国の読み違えが、現在の対立につながっている。
 
  戦争はいつの時代にも、かたちを変えて現れ続ける。
 
  19世紀に欧州各国の軍服が派手だったのは、「軍人は女性にもてる」というイメージを植えつけ、志願する若者を増やすためだった。
 
 
 
          以上です。量子物理学は明日以降にして今日はここまでとします。
 
 
          では、また明日・・・・・