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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1512 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年9月20日(月)、現在は朝の6時半です。
今日は敬老の日の振替休日で、お彼岸の入りでもあります。昨日は台風一過の
好天で昼は真夏の暑さでしたが、夜になると流石に秋の涼虫の鳴き声がすごく
秋本番を思わせる日となっていました。当家は現在、普請中ですので夕以降の
涼しさは有難いものです。天気予報では当面好天続きで雨は降ってもさほどの
ことは無さそうで助かります。本日はまったく予定が無いので”じゅんさい池1周ウォーキング”
ぐらいには行こうかどうか思案中です。
コロナ感染ですが減少傾向に変化はありませんね。昨日は都で565人、全国では3401人
と出ています。大阪でも467人、神奈川は394人です。多めの所はこの程度なので随分と
減少したものだと感心しています。
コロナ報道が下火となったと思いきや、今度は連続的に自民党の総裁選の話題ばかりが
テレビの大事な時間を独占してきました。あくまでも一政党内のお遊び的首長選びですので
そんなにテレビで報道する必要あるの・・・?と言いたくなります。当方はこの件に関しては
まったく興味が無いのでPNCにも書きません。植草氏が河野の件で記事にしていますので
そちらは付けます。
「植草一秀の『知られざる真実』」
2021/09/19
不自然な河野太郎人気の裏側
第3034号
菅義偉氏が辞意を表明して以来、メディアは白昼堂々、自民党祭りを繰り広げ
ている。
延々と1ヵ月、自民党祭りが続く。
菅義偉氏が辞意を表明したのは9月3日。
自民党の党首選は9月17日に告示され、9月27日に投票日を迎える。
10月4日に臨時国会が召集されて新しい首相を選出。
同日に新内閣が発足する見通し。
次期衆院総選挙は10月26日公示、11月7日投票の日程が有力視されてい
る。
野党は国会召集を求めている。
日本国憲法は
〔臨時会〕
第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれか
の議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しな
ければならない。
の条文を置く、
四分の一以上の国会議員による国会召集要求があった場合、内閣は国会を召集
しなければならないと定めている。
ところが菅内閣は国会を召集しない。
国会を召集せずに自民党祭りに明け暮れている。
国会で論ずべき問題は山積しているが自民党は国会召集要求を放置して自党内
のお祭り騒ぎに明け暮れている。
自公政権の国会召集要求無視は憲法違反。
日本国憲法は国会を国権の最高機関と位置付けている。
国会議員には巨額の歳費が税金で支払われている。
巨額の歳費を受け取りながら国会議員の本分である国会での活動をサボター
ジュすることは度し難い職務怠慢行為。
懲戒免職に値する行為だ。
野党が主張するように昼間の時間に国会で活動を行い、夜の時間等を活用して
党内のイベントを実行するべきだ。
本来業務を放棄して党内行事に明け暮れる自民党の行動を公共の電波を使って
垂れ流すメディアの姿勢も糾弾する必要がある。
メディアは9月29日まで自民党党首選報道に明け暮れる。
党首選が終わり10月4日に召集される臨時国会で新しい内閣が発足する。
そして、1ヵ月後の11月7日に衆院総選挙が実施される。
自民党党首選はコップの中の嵐であり、自民党内の権力闘争であるが、同時に
当面の新しい首相を選出するプロセスでもある。
この意味で日本の主権者が無関心でいるわけにもいかない。
何よりも重要なのは自民党党首選直後に実施される衆院総選挙。
衆院総選挙の結果に従い、新しい日本の政治体制が定められる。
2021政治大決戦であり、これにどう向き合うのか。
日本の主権者にとっての最重要問題である。
これまでの日本政治のどこに問題があったか。
これを確認した上で自民党党首選を見つめる必要がある。
三つの問題がある。
第一は公器である政治が私物化され、政治利権をむさぼる政商の跋扈を許して
いること。
第二は対米隷属政治に堕していること。
第三は経済政策運営が新自由主義に傾き過ぎていること。
当面の首相を選出する自民党党首選だが、この三つの視点から候補者の評価を
定めておくことが重要だ。
第一の問題は候補者自身の人間性の問題と第三の経済政策運営に関わる問題の
双方に関係する。
候補者の人間性を見定める必要がある。
同時に、規制緩和・特区・民営化が新しい利権を創出してきたことに留意しな
ければならない。
にわかに創作された河野人気の創作者は米国の支配勢力であると考えられる。
彼らがなぜ河野人気を人為的に創作したのかを考える必要がある。
答えは河野氏が、1.対米隷属堅持、2.新自由主義経済政策路線、という米
国の日本支配勢力が求める路線を忠実に実行すると評定したことにあると考え
られる。
自民党党首選の4人の候補者全員が「対米隷属」をクリアしていると見られる
が、経済政策運営の路線では、河野氏と高市氏が新自由主義を基軸にすると見
られるのに対して、岸田氏と野田氏は新自由主義からの方向転換を示唆してい
る。
この点を踏まえれば、河野氏、高市氏が新首相に就任するよりは、岸田氏、野
田氏が新首相に就任する方がましであると言えるだろう。
2012年12月に第2次安倍内閣が発足してから丸9年の時間が経過する。
この9年間に日本政治は変わり果てた。
最大の問題は政治私物化の堕落が際限なく広がったこと。
森友・加計・桜疑惑は何一つ解決していない。
安倍首相の明示的または暗示的指示により財務省幹部が主導して公文書の改ざ
ん、虚偽公文書作成が行われた事件の解決を見ていない。
財務省職員が自死に追い込まれた経緯も明らかにされていない。
政府の内部調査に反する新事実が明らかにされた以上、徹底的な再調査が必要
不可欠だ。
森友問題の再調査は必要不可欠なもの。
桜疑惑は安倍元首相自身が関与する重大疑惑。
政治資金規正法違反、公選法違反が疑われている。
ホテルでのパーティ―開催に関する明細書等が開示されれば事実関係が明らか
になる。
検察審査会は安倍元首相の不起訴を不当とする議決を行っている。
安倍元首相が説明責任を果たし、明細書等を国会で開示することが求められて
いる。
自民党党首選に立候補している候補者は、これらの問題に対する真相解明に極
めて消極的。
唯一、野田聖子議員だけが森友問題等の再調査必要性を提示している。
敗戦後の日本政治を実効支配し続けている米国。
現在の米国支配者の関心事項は次の二つ。
第一は対米隷属の維持。
第二は新自由主義経済政策路線の維持。
敗戦後日本に対する米国の第一の要求は、米国が望むだけの軍隊を、米国が望
むだけの期間、望む日本の場所に展開する権利の保持だった。
その米軍に対して米国は治外法権を求めてきた。
その治外法権がいまなお維持されている。
同時に米国は日本に軍事力を保持させ、この軍事力を米国の指揮下に置くこと
を強要してきた。
この米国の路線に隷従する者。
これが、彼らが求める日本宰相の必須条件。
もう一つの柱が日本の経済政策運営の基本路線。
米国支配勢力が推進するグローバリズム経済運営路線に隷従することが求めら
れている。
菅内閣退陣の流れのなかで、不自然に生み出されてきた河野太郎人気は、この
視点を持つ米国支配勢力の人為によって生み出されたと考えるのが順当だ。
河野氏を押し上げているのは米国の支配勢力であり、その理由は河野氏が日本
の対米隷属を受け入れ、米国巨大資本が推進する新自由主義経済政策路線を踏
襲することを確約していることにあると推察される。
この図式は2001年に創作された小泉純一郎人気と完全に重なるもの。
日本のメディアは米国の日本支配勢力の支配下に置かれている。
自民党の党首選討論会を見る限り、各候補者の表現力に大差がない。
河野氏も自民党の体質改革に対して極めて消極的であり、原発廃絶の方向感も
ほぼ消滅した状況にある
河野人気自体が極めて不可思議な状況になっている。
日本記者クラブによる党首選討論会が開催されるタイミングで共同通信社が自
民党員の党首選調査結果を発表し、河野支持が高いと発表したことにも強い作
為が感じられる。
討論会内容を見れば河野氏が突出する状況でないことは明白だ。
共同調査は自民党党員投票に影響を与える目的で発表されたものだと考えられ
る。
米国の日本支配勢力にとってもっとも都合のよい候補者が河野太郎氏であるだ
けにすぎないことを日本の主権者が認識する必要がある。
逆に言えば、このことは、日本の主権者にとってもっとも好ましくない候補者
が河野太郎氏であることを意味している。
河野太郎氏が新首相に就任することに比べれば、新自由主義路線からの離脱を
掲げる岸田文雄氏が新首相に就任することの方が望ましいと言える。
しかし、日本の主権者による本当の政権選択の場は次の衆院総選挙である。
この衆院総選挙に向けて野党がどう行動するか。
これが問われる局面である。
それでは競馬と相撲に行きます。
競馬ですが、今中山開催は3連続開催です。本日は歴史あるセントライト記念が
メインに組まれています。当方このところ連敗続きで本日の9Rと11R(すでに
購入済み)の2鞍をやって負けたら当分馬券買いとはおさらばになります。
このところの結果は所謂(1着=3着)が多く本当につまらない結果しか残せません。
競馬(馬券買い)はやらないに越したことは無いという事のようです。
相撲ですが、一番大事なワンピー姐さんの登場は昨日もありませんでした。
姐さんが居ても居なくても強い力士は勝ち弱い力士は負けるものです。
昨日も横綱はやっぱり負けませんでしたが2人大関の1人である正代は若く
勢いのある琴の若に上手投げで負けました。23歳のやっと幕内上位に上がった
ばかりの若者にすっ飛ばされたのでは大関の名が鳴きます。もう一人の貴景勝
は何とか堪えて勝ちを引き寄せて来たようです。今場所は何とかカド番脱出だけ
でもいいので頑張ってほしいものです。琴の若に軽く負けた正代の今後は???です。
北の富士コラムに行きます。
【北の富士コラム】喜び勇んで攻め込んで土俵下まで転げ落ちた正代。ひと言だけ言わせてもらう。少しは考えたらどうだ
◇19日 大相撲秋場所8日目(両国国技館)
中日は熱戦が多かった。前半戦では翔猿と宇良の、どんな手が飛び出すのか分からない一番が人気であった。例によって、宇良は仕切り線の後方に両手をついて待っている。これは宇良が考え抜いた末の最良の作戦だろうから、思う存分にやると良い。
対戦相手の翔猿も変則的な相撲で定評のある力士。軍配が返って、立ち上がるとすぐにお見合いを始める。それだけで場内は大喜びである。両者は一度も組み合うことなく押したり引いたり。もし、他の力士がこんな相撲を取ると審判の親方から「何やってるんだ」としかられるところだ。
体勢の低い宇良が思い切ったように押し込んで、うるさい翔猿を退けた。相撲は勝ったが、宇良は少し膝を気にして土俵を下りたが大丈夫か。これで宇良に休場でもされたら大変である。
休場していた豊昇龍が中日から再出場し、逸ノ城との取り直しの熱戦を制して心配を払拭(ふっしょく)した。やはり、若いということは素晴らしい。御嶽海は明生を会心の相撲で一蹴した。ゴツンとばかり、ものすごい頭からの当たりで一気に押して、明生の押し返すはなをタイミング良くはたきこんだ。
こんなにいい相撲が取れるのに、7日目の逸ノ城戦はいったい何だったのか。あまりにもむらっ気が激しすぎるようだ。テレビ解説の豪栄道君(武隈親方)が遠慮気味に、そのむらっ気の話を指摘していたが、実にもったいないことだ。まだ2敗だから優勝の可能性は残されている。
一方、独走していた照ノ富士は、玉鷲の左からの変化とのど輪の猛攻に土俵際でのけ反りながら必死に残し、やっとのことで逆転勝ち。まさかの変化に大きく体勢を崩して万事休したと思われた照ノ富士は、執念で残したといって良いだろう。まさに、九死に一生の一番だった。
玉鷲の思い切った作戦は見事に当たったかに思われたが、惜しいことだった。これが大魚を逃したということか。照ノ富士は今場所初めての危ない相撲となったが、この一番を乗り切って、一層自信を深めたに違いない。
そんな照ノ富士とは対照的なのが正代である。初顔の琴ノ若に対して左を差し、喜び勇んで攻め込んで、琴ノ若の右からの上手投げに土俵下まで転げ落ちた。私はもう文句を言う気力もないが、ひと言だけ言わせてもらう。少しは考えたらどうだ。相撲は2人で取るものである。
琴ノ若はよく冷静に回り込んだ。えらい!よくやった、おじいちゃん(元横綱琴桜)が喜んでいるよ。
それでは、今夜は何を食べようかな。名古屋から送ってもらったウナギでも食べよう。(元横綱)
北の富士さんへ・・・ウナギは止めておいた方だ良いのでは???
当方の昨晩のおかずはメカブ納豆とチキンローストだけでした。ご飯も軽く
一膳です。勿論、酒は禁酒です。飲む気がしないので仕方ありません!
それでは量子物理学に行きます。
「コペンハーゲン解釈」とは、「量子力学が体験している自然像が、どんなに奇妙であっても正面から受け止め洋」という事なのである。
古典物理学が踏襲してきた「まず理論ありき」ではなく、「まず現象ありき」を優先し、「なぜ起きているのか?」を考えるより「まず現実に起きている事象を科学として認める」としたわけである。
古典物理学での「科学は自然を究明できる」という前提を、「コペンハーゲン解釈」は真っ向から拒否したというのが本質である。
「この世」を科学が真に理解することは思考能力の範囲を超えており、量子力学は体験的に認めざるを得なくなったことを自ら言明したという事実に、「コペンハーゲン解釈」の並外れた重要性があったわけである。
アインシュタインは「あくまでも科学とは理論的であるべきで、どんな永遠の神秘性も科学の了解線上に有り得る」というのが常に理論の出発点だった。
対してボーアは「まず現象を素直に受け入れる」ことから初めて、それに合うように既成の概念や理論を考え直すことに何の躊躇もなかったわけである。
「コペンハーゲン解釈」は、「まず理論ありき」というアインシュタイン相対性理論と彼の哲学を間接的に拒否する声明だった。だからアインシュタインはボーアに対して、死ぬまで反対の論陣を張り続けたのである。
アインシュタインはボーアがいう不確定的な自然像に腹を立て、どう見ても量子力学は不完全な理論であると非難した。それに対してボーアは「量子力学がわれわれの常識と合わないとすれば、それはこれまでのわれわれの実在についての見方が誤っているのだ」と応酬したという話は有名である。
ではまた明日・・・・・