PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1519                  後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年9月27日(月)、現在は朝の6時50分です。
 
 気象庁による本日の天気予報だと晴天となっていますが、今のところは曇天で
寒い朝となっています。晴れないともう寒いですね!予報を信じれば今日から
3日間は秋晴れの晴天が続き、その後に来て欲しくない台風16号が関東あたりに
上陸するとのことです。こちらばかりは当たらないで欲しいと願います。
 本日から始まる1週間は女房のお迎えで夜の9時45分に京成国府台駅に行く
事が決まっています。昨年で引退した当方の仕事はこのお迎えと皿洗いぐらいです。
夜のお迎えは帰宅が10時ぐらいになるので就寝はどうしても午前様になります。
寝不足が続く1週間です。
 
 コロナ感染ですが、減少傾向は継続です。昨日の都は299人で全国では2134人と
なっています。大目は大阪で386人、神奈川が193人というぐらいです。
今後の推移はどうなるか?ですが、10月中は大きな変化はなさそうです。怖いのは
11月位からでしょうか?まだまだ飲んだくれは不可という事です。
 
 
 それでは昨日終了した相撲に行きます。
 
 本題の前に今朝は驚きニュースが一つ報道されました。横綱白鵬の引退です。
どうもこの引退時期は決定事項であったと思われます。コロナ禍により所属部屋の
全員が休場となった結果として、横綱の引退発表が出来なくなり、9月場所が終わった
昨日後に引退を発表したとしか思えません。まあ、良い所ではないですか?
照ノ富士という後継者的横綱も出来、当面は照ノ富士時代到来は間違いないでしょうから
仕方ありません。白鵬関連記事は下に付けます。
 
 というより、昨日の千秋楽は超つまらなかったですね。。此の寂しさを予見したのでしょうか
(?)ワンピー姐さん(観音様)は不登場でした。照ノ富士の優勝が確定的で奇蹟を起こすには
他の力士の力量があまりにも低いのでワンピー姐さんは国技館に来れなかったのでは???
と当方的には決定します。
 顛末は北の富士コラムを読んでほしいですが、昨日NHKテレビの解説の役割を担っていた
北の富士さんは何故・どうして遅刻したのでしょうか?当方の予想では前日から美味しい物を
食べ過ぎて”糞づまり”となってトイレへ駈け込んでいたのでは???と予想しますがいかがで
しょうか?!?!もう80歳ですので”腹5分目”にしなければいけません。かくいう当方も72歳
ですから本当なら”腹6分目ぐらい”が当然です。昼600㌔カロリーの夜も600㌔カロリーが
妥当な所です。現在は禁酒中であり、この辺は多少多くても許されそうですが・・・?。
 
 それでは北の富士コラムと白鵬の関連記事を添付します。
 
 
 
 
 
不満残る千秋楽の割り方…審判部はメンツを気にして、何の意味も持たない取組を作った【北の富士コラム】
 
◇26日 大相撲秋場所千秋楽(東京・両国国技館
 
 放送が終了してすぐに帰宅。部屋には電気もついていず、実にさびしい。本当なら八角部屋の若い力士が何かと身の回りのことをしてくれていたが、コロナ禍になって以来、若者は外出禁止となるためこのごろというものは自分のことはできるだけやることにしている。
 
 着ていた服をハンガーにかけ、パンツは折り目が2本にならないように気を使う。こう見えて割合、神経質なんです。Tシャツと半ズボンに着替えてテレビをつける。そして原稿が先か飯が先か考える。腹が減っては戦ができぬというではないか。
 
 さっそく飯の用意。誰かが「天むす」を届けてくれている。前日のおでんの残りもある。前夜は飛騨牛のステーキは結局食べていなかったので、その牛肉をすき焼きにする。ナスの煮物を冷やしてあったので、チンした熱い飯に乗せて一気にかっ込んだ。牛肉は生卵をたっぷり絡めて飯をもう1杯。うまい。言うことなし。天むすとおでんは朝に食べることにしよう。
 
 さあ、原稿に入ります。すでに皆さんは結果は分かっていると思います。3敗の妙義龍が明生の肩透かしにあっさりと敗れた。なので結びを待たずに照ノ富士の優勝が決定した。それでも照ノ富士は慎重に正代を下して有終の美を飾り、5回目と新横綱の優勝を果たした。
 
 今更、済んだことを悔やんでも詮ないことだが、私は千秋楽の割り方は不満が残る。妙義龍が負けると、照ノ富士が本割で負けても自動的に優勝が決まるなんて取組は最悪である。大関横綱の対戦を崩すことを良しとしなかった審判部は協会のメンツばかりを気にして、何の意味も持たない取組を作ったのはどういうことか。
 
 白鵬と朝乃山の休場や十数人の休場力士続出の盛り上がりに欠ける場所を、ようやく平幕力士の活躍で面白くしてくれたのに、肝心の審判部が台無しにしてしまった。結びにたとえ妙義龍が照ノ富士に敗れたとしても納得がいくし、もし妙義龍が勝って決定戦にでもなれば、もっと喜んでもらえただろう。
 
 いずれにしても正代と照ノ富士戦はミスマッチであったと私は思う。まだすっきりしないが、終わったことだからもう黙ろう。照ノ富士は新横綱と一人横綱の重責を見事に果たしてくれた。また一回り強くなって、「不動心」の座右の銘がよく似合う横綱に成長したと思っている。
 
 しばらくは照ノ富士の時代は続くだろう。疲れた体と古傷の膝をゆっくり休ませることだ。とにかくおめでとうと言っておこう。本日は千秋楽だから楽しくやろうと思ったが、これより三役の相撲がつまらなかったので、一気に疲れてしまった。さあ原稿はこれまで。ただいま午後8時10分。NHK「青天を衝け」を見て、寝てしまいます。
 
 それから「北の富士カレー」、本当のことは分かりませんが、よく売れたらしいです。皆さん、ご協力ありがとう。感謝。(元横綱
 
 
 白鵬引退・・・
 
 
 
白鵬が引退へ 右膝限界…史上最多45度V 数々の最多記録を打ち立てた最強横綱が20年の力士生活に別れ
 
7月の名古屋場所照ノ富士(下)を下して全勝優勝を決め、ガッツポーズし雄たけびを上げる白鵬
 大相撲の第69代横綱白鵬(36)=宮城野=が現役を引退する方向であることが26日、分かった。進退を懸けて出場した7月の名古屋場所では、最多を更新する45回目の優勝を16回目の全勝で飾った。しかし、右膝の状態が思わしくなく、土俵を去ることになった。優勝回数、横綱在位84場所、通算1187勝、幕内1093勝など数々の最多記録を打ち立てた大横綱が、約20年の力士生活に別れを告げる。
 
 最強横綱が現役生活にピリオドを打つ方向となった。白鵬は、所属する宮城野部屋新型コロナウイルス感染者が出た影響で秋場所を全休したが、場所後にも最終的な話し合いや手続きなどが進められるもようだ。
 
 数々の激闘で肉体の至るところが限界に近づいていた。特に今年春場所の途中休場の原因になった右膝は思わしくない状態だった。名古屋場所では、当時大関照ノ富士との千秋楽全勝対決を制し、V45を決めた。優勝インタビューで自ら「右膝がもうボロボロで、言うことを聞かなかった」と語るほどだった。
 
 一方で「横綱としてこれで899勝。あと1勝で900勝なので、1勝目指して頑張っていきたい」と今後への意欲も示していた。ただ8月下旬の合同稽古は参加こそしたが、胸を出すだけにとどまった。右膝については「日によりますね。良くなったり悪くなったり」と話すなど、劇的な改善には至らなかった。
 
 白鵬角界入りを夢見て2000年10月に来日。大阪にあるアマチュア相撲の名門・摂津倉庫で稽古しながら大相撲から声がかかるのを待った。父・ムンフバトさんはモンゴル相撲の大横綱で同国初の五輪メダリストの英雄。ただ白鵬は当時175センチ、68キロと細い15歳の少年。仲間が次々とスカウトされる中、全く声がかからなかった。同年12月、角界の道を諦め、帰りの航空券も購入。だが帰国する前夜、モンゴル力士のパイオニア旭鷲山の紹介で突然、宮城野部屋への入門が決まった。
 
 猛稽古に耐え、次第に頭角を現した。01年春場所初土俵。04年初場所新十両。同年夏場所に新入幕。06年春場所後には昭和以降4位の21歳0か月の若さで大関昇進。07年夏場所後には、22歳2か月の史上3位の年少記録で横綱になった。
 
 10年春~11年技量審査場所まで史上最多タイの7連覇。10年には史上2位タイの63連勝も記録した。最強の名をほしいままにしたが、近年はけがが目立ち、休場も増えた。その状況に昨年11月場所後には横綱審議委員会が「引退勧告」に次ぐ重さの「注意」を決議。かち上げなどの取り口や土俵態度で物議を醸すこともあった。ただ数々の記録で大相撲の歴史に名を残した。
 
 ◆白鵬 翔(はくほう・しょう)本名同じ。1985年3月11日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。36歳。2001年春、宮城野部屋から初土俵。04年初、新十両。同年夏、新入幕。07年夏場所後に第69代横綱昇進。10年に史上2位タイの63連勝。同年春から11年技量審査場所八百長問題による夏場所の代替開催)にかけ、史上最多タイの7連覇。19年9月に日本国籍を取得した。得意は右四つ、寄り。192センチ、155キロ。
報知新聞社
 
 
 本日は量子物理学も付けておきます。他の記事は明日以降に先送りです・・・
 
 
 
 
 科学の革命「アラン・アスペの実験」
 パリ大学において一連の慎重な実験が行なわれ、一九八二年の厳しいテストで最高潮に達した。
 結果は?  量子力学の予言がまったく正しく、アインシュタインが「とうてい考えられない」とした魔的ともいうべき現象が実際に起こっていることが明確に確認された。この時点で「EPRパラドックス」は、パラドックスではなくなったのである。
ベルは、アインシュタイン相対性理論(超光速不可能の原理)こそ人々の量子論に対する正しい解釈への困難を作り出している。アインシュタイン理論を葬り去って、それ以前の科学(エーテル概念)の早急な復活が必要だと言っているのである。考え方や信念が日本の主流科学者たちと、えらい違いだとわかるだろう。
 
 二十一世紀は「量子テクノジー」の時代!
 
 アメリカでは国家的な科学研究と民間企業の先端技術の結びつきが背景にあることで、いま量子テクノロジー研究の裾野は大きく広がってきている。
 
 
   ではまた明日・・・・