PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1526                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年10月4日(月)、現在は朝の6時40分です。
 
 昨日は1日遅れの台風一過で好天、気温も30℃ぐらいになったようです。今日・明日も
晴天が続き最高気温は29℃予想となっています。それでもすでに10月なので、夜間の
温度はぐっと下がってちょうど寝やすい温度になるようなので助かります。
 昨晩はこのところの寝不足をカバーすべく10時前ぐらいに就寝、ようやっと8時間睡眠が
達成されたようで万々歳です。
 
 本日からもう止めようと思っていたコロナ感染数ですが、都で161人まで下がり、全国的にも
千人割れの968人まで減少しています。今後は急増などが無い限り記述は止めますが、
安心しているといつ何が来るか(?)分らないので緊張体制を緩めることは無いようにします。
 
 昨日の”じゅんさい池1周ウォーキング”ですが、前夜の降雨が激しかったので歩道が
ぬかるんでいるはずなのでパスしました。今日はリハビリ後に行ってくる予定でいます。
 
 本日は少し添付が多くなりますが悪しからず・・・
 
まず、植草氏からです。どうぞ。
 
 
植草一秀の『知られざる真実』」
 
                             2021/10/03
 
           4野党協定と共産提言で政治刷新
 
               第3045号
10月4日、臨時国会が召集され、第100代内閣総理大臣岸田文雄氏を選
出する。
 
同日、岸田文雄内閣が発足の見通し。
 
9月3日に菅義偉氏が首相辞任の意向を表明した。
 
1ヵ月の長時間を要して新しい内閣への引き継ぎが行われる。
 
菅内閣の支持率は3割を割り込み、菅首相は余命10ヵ月の宣告を受けた。
 
7月17日付ブログ記事
菅義偉首相の退陣時計秒読みを始動」
 
に次のように記述した。
 
「「天網恢々疎にして失わず」という。
 
天の網が菅義偉暴政を絡め取りつつある。
 
7月16日、時事通信社が報じた。
 
菅内閣支持29.3%、発足後最低 初の3割割れ
 
時事通信が9~12日に実施した7月の世論調査で、菅内閣の支持率は前月比
3.8ポイント減の29.3%で、不支持率は5.6ポイント増の49.8%
となった。
 
政権発足後、支持率が3割を切り「危険水域」とされる20%台に落ち込むの
は初めて。逆に不支持率は最高となった。」
 
菅内閣は国民の審判を受けていない内閣。
 
国民の審判を受けずに誕生して消滅することになる公算が高まった。
 
衆院任期は本年10月。
 
菅義偉氏の自民党代表任期は9月まで。
 
衆院総選挙に進む前に自民党代表の地位から引きずり下ろされる可能性が高
い。
 
最大の失政はコロナ失政。」
 
菅体制のまま衆院総選挙に突入すれば自民党は大敗した可能性が高い。
 
しかし、菅首相が辞意を表明して状況が急変した。
 
公共の電波が自民党にジャックされた。
 
新しい内閣が発足すれば内閣支持率は高い水準からスタートする。
 
自民党岸田文雄氏を新しい党首に選出した。
 
10月4日、岸田文雄内閣が発足する。
 
衆院総選挙に向けての野党の状況が厳しさを増す。
 
政治状況を変革するには選挙で多数議席を確保することが必要不可欠。
 
自公政治の打破を求める主権者は状況変化のなかで最善を尽くさねばならな
い。
岸田文雄氏は河野太郎氏に比べて国民に評価される人間性を有している。
 
自民党は選挙情勢を転換させるために賢明な選択を示したと言える。
 
しかし、その岸田内閣に重大な瑕疵(かし)がある。
 
「政治とカネ」問題への取り組みが進展していないとの印象が広がっている。
 
9月29日の自民党両院議員総会自民党党首に選出された岸田文雄氏はあい
さつで、
 
「これから衆院選参院選に臨んでいかなければならない。
 
生まれ変わった自民党をしっかり国民に示し、支持を訴えていかなければなら
ない。」
 
と述べた。
 
国民の自公政治に対する不信が高まってきた。
 
その不信感を払拭するために「生まれ変わった自民党」の姿を国民にしっかり
と示すことが必要だと強調した。
 
しかし、その岸田文雄氏が党役員の要になる幹事長に甘利明氏を起用した。
 
甘利明氏は2016年にUR都市機構の土地売却への「口利き」をめぐる金銭
授受疑惑を背景に大臣辞任に追い込まれた。
 
「政治とカネ」問題、あっせん利得の嫌疑について甘利氏が説明責任を果たし
ていないと強く批判されている。
 
岸田文雄氏はこの甘利氏を自民党幹事長に就任させた。
 
野党3党は合同調査チームを設置する方針を明らかにしている。
 
岸田文雄氏は人事のツケを払わされることになる。
 
決戦の衆院総選挙まで1ヵ月の時間がある。
 
政治の風向きが急変することもあり得る。
 
野党陣営の共闘体制確立を急がねばならない。
 
鳩山友紀夫元首相との対談(アジア共同体研究所主宰YouTube動画「UIチャ
ンネル」)
10月5日発売の鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著『出る杭
の世直し白書(ビジネス社)
のご高覧も賜りたい。
 
なかだちで9月8日に政策協定を締結した。
 
基本政策を共有する勢力による連帯の構築、共闘体制構築を「政策連合」が求
めてきた。
 
これが実現した。
 
政策協定には国民民主党が加わっていない。
 
これも「政策連合」が提唱してきたもの。
 
共有される政策に以下の内容が盛り込まれた。
 
1.安保法制、特定秘密保護法共謀罪法などの違憲部分の廃止
 
2.沖縄辺野古での新基地建設中止
 
3.消費税減税・富裕層課税強化
 
4.原発のない脱炭素社会追求
 
5.権力私物化疑惑の真相究明
 
などだ。
 
政策連合は野党各党ならびに立憲民主党執行部に対して、共通選挙公約に消費
税減税を盛り込み、共産党、れいわ新選組を含む共闘体制確立を求めた。
 
9月8日の政策協定はこの申し入れに応えたものになっている。
 
他方、日本共産党は9月22日に
 
「新経済提言」
 
を公表した。
 
このなかに、「政策連合」が提示してきた経済政策提案が全面的に盛り込まれ
た。
 
「政策連合」は「むしり取る経済政策」から「分かち合う経済政策」への転換
を訴えてきた。
 
そのなかで、具体的政策として
 
1.消費税減税・廃止
 
2.最低賃金全国一律1500円政府補償
 
3.生活保障制度確立
 
を提言してきた。
 
「生活保障制度確立」は、現在の生活保護制度を利用できる条件を満たす人の
すべてが制度を利用できるよう制度運営を改めるとともに、「生活保護」の用
語を「生活保障」に改め、生活保護法を生活保障法制に改変することを指す。
 
また、保障水準を最低賃金引き上げに連動して大幅に引き上げることを提言し
てきた。
共産党の新経済提言には
 
生活保護を「生活保障制度」に改め、必要な人がすべて利用できる制度に改
革します。
 
最低賃金を時給1500円に引き上げ、全国一律最賃制を確立します。
 
○消費税率を5%に引き下げ、インボイス制度の導入を中止します。
 
○残業時間の上限を「週15時間、月45時間、年360時間」とし、連続1
1時間の休息時間(勤務間インターバル制度)を確保します。
 
○高い学費の値下げと本格的な給付奨学金制度をつくり、誰もがお金の心配な
く学べるようにします。
 
などの施策が明記されている。
 
長時間労働による過労死などの惨事を防ぐには、連続11時間の休息時間など
の「勤務間インターバル制度」を導入することが極めて重要。
 
安倍内閣下での「働き方改革という名の働かせ方改悪」では、勤務間インター
バル制度が導入されなかった。
 
教育の機会均等を実現するには、「お金の心配なく学べる制度」確立が必要不
可欠。
4野党政策協定は締結されたが、多くの選挙区で候補者が重複している。
 
選挙区候補の一本化を実現しなければ自公から議席を奪還することは難しい。
 
「政策連合」勢力が議会過半数議席を獲得した場合の政権のあり方での合意を
確立し、ギブアンドテイクでの選挙協力体制を確立しなければならない。
 
立憲民主党枝野幸男氏が適切に行動しなければ、立憲民主党の抜本改革が必
要になる。
 
野党が適正に行動するよう、主権者である市民が圧力をかけることが重要な局
面だ。
 
 
 次にほぼ毎日掲載している五木寛之氏の日刊ゲンダイのコラムを行きます。
 五木先生はこの9月30日で満89歳になったようです。おめでとうございますと
言っておきます。瀬戸内寂聴さんは90歳代、その他の文士の方も長生きの方
が多いですね。何で長生きなのかは不明ですが当方も見ならいたいものです。
 
 
 
 
 
連載11226回 「ボケの効用」について <1>
 
公開日:2021/09/27 17:00 更新日:2021/09/27 17:00
 
<ボケる>という言い方は、なんとなく失礼な気がするところがあって、あまり気軽に口にできない感じがする。
  しかし、アルツハイマー病とか、痴呆とかいうリアルな言い方は、どうも好きになれないのだ。まだしも「ちょっとボケがはいってきたみたいで」などというほうが人間的な感じがするのは私だけだろうか。
  年を重ねるにつれて、どんな人でも少しずつボケが進行してくるものだ。それは自然の理であって、病気でも何でもない。体が思うように動かないのと同じことである。
  老眼も自然の変化である。耳が遠くなるのもそうだ。反射神経も衰えてくる。指先も思うように動かない。
  それと同じように頭脳も不活発になってくるのは当然のことだろう。
  体がそうであるように、脳の働きにも個人差がある。90歳を過ぎたランナーがいるのだから、高齢でシャープな頭の働きを保っている人がいても不思議はない。
  私なども日頃、原稿を書いているとき、しょっちゅう漢字を忘れて辞書のお世話になることが多くなった。固有名詞が出てこなくなることなど日常茶飯事だ。これも立派なボケの現象だろう。
  これがある水域を越えると、「あの人も最近ボケた」と噂されることになる。
  加齢による自然なボケは、防ぐことができるのだろうか。それを止めることは無理だとしても、せめて進行のスピードをおくらせることぐらいは可能かもしれない。
  最近、麻雀が流行りだしたという新聞の記事を読んだ。点数の自動計算器なども卓についていて、指を折っていちいち点数を計算せずにやれるらしい。これは便利だが、この点数の計算がボケ防止に効果がある、という人もいてややこしい。
  麻雀は技術もあるが、それ以外の要素も大きいゲームである。推理力、決断力、勇気、人生観、その他もろもろの人間的な能力がためされるゲームだ。麻雀がボケ防止になるかならぬかはわからないけれども、やりようによっては効果があるかもしれない。少くとも何人かの相手と悪口を言い合いながら対局するのは、悪いはずがないだろう。悪口雑言、なんでもお構いなしの場は、将棋や囲碁の座にはないフリートークの場なのである。
  しかし、ボケの進行をおくらせる方法は、ほかにもいろいろありそうだ。そこを考えてみることにしよう。
  (この項つづく)
 
  ――協力・文芸企画
 
連載11227回 「ボケの効用」について <2>
 
(昨日のつづき)
  最近、週刊誌などで「ボケ防止に役立つトレーニング」などという記事を、よく見かけるようになった。
  高齢化ナンバーワンのわが国では、国民のボケ防止も急務であるらしい。たとえば高齢者の運転事故の問題もそうだ。「アクセルとブレーキの踏み間違い」などというニュースをよく見かけるが、たしかにそれはありうるボケの一現象である。
  私も何度か高齢者用の運転免許更新のテストを受けたことがある。自分ではかなりの自信があるつもりだったが、思った以上にミスもあり、すっかり自信をなくしたものだった。
  ボケにもいろいろあることは周知のとおりだ。厄介なのはマダラボケといわれる特異なボケで、本人も気がついていない事が多い。
  また対人ボケというのもある。人と挨拶して、相手が誰だったかはっきりしないハプニングだ。
「失礼ですが、どなたでしたっけ?」
  と、聞くわけにもいかず、笑顔で「どうも、どうも」と曖昧にごまかしながら、その場を離れる。
  私は数字が苦手である。何度も確認して記憶したつもりの数字が、いざという時に出てこない。暗証番号なども、手帖に書きとめておかないと、いざという時に立往生する危険性がある。しかし、暗証番号を書きとめておくというのも問題だ。同じ悩みの友人がいて、1111と、やけくそのような番号を暗証番号にしていた。
  私の場合、数字のほかに、物を大事に仕舞った場所を忘れる、という特技がある。老眼鏡をさがして午前中ずっと時間をついやしたこともあった。大事に仕舞いこんでおいたものほど忘れやすいのはどういうことだろう。
  同じ内容の原稿を2度、3度と書いてしまうこともある。
「これ、前にもお書きになったと思いますけど」
  と、編集者に言われて、あわてて書き直したことが今年も何度かあった。無理もない。五十何年も雑文を書き続けていると、つい記憶に残っているエピソードが顔を出してしまうのだ。
  憶えようとしても憶えられない事がある。忘れようとしても忘れられない事もある。多くの人々と直接に言葉をかわす機会がなくなると、人は確実にボケる。ステイホームでどれほど多くの人々が言葉と記憶を失ったことか。コロナの負の遺産は大きい。
  (この項つづく)
 
連載11228回 「ボケの効用」について <3>
 
公開日:2021/09/29 17:00 更新日:2021/09/29 17:00
 
(昨日のつづき)
  このところ新聞や雑誌を読んでいて気になるのは、活字の世界に対して、どことなく自信なげな雰囲気が行間に漂っていることだ。
  メディアの栄枯盛衰は世の常である。
  映画が登場してきたとき、演劇はもう終った、と言う人たちがいた。しかし、そうはならなかった。劇場は以前にもまして多くの人々を集めている。
  テレビが注目されたときもそうだった。たしかに映画は、いまメディアの主役ではない。しかし、映画の価値は当初よりはるかに大きく、表現の世界で重要な位置をしめている。大衆の支持も以前より、むしろ多いくらいだろう。表現の成熟度は、誰が見てもテレビを超えている。
  出版もそうだ。電子書籍が主流となっても、活字の本は消えないだろう。たとえ小学生や中学生が、教科書のかわりに一冊のノートパソコンしか使わなくなっても、である。
  メディアの主流というものがある。それは数字で広さが測られる世界だ。しかし、数字では深度や持続度は簡単に測れない。活字の世界が表現の主潮であった時代は、すでに100年も前に過ぎている。いわゆる小説の全盛期は19世紀の後半だろう。数だけでいうなら、現在はアニメの王国だ。世の批評家たちが、きそって漫画やアニメを語る風潮は、そのことを示している。数だけではない。深さも、強さもそなえた新しい可能性がそこにあるからだ。
  最近、テレビを見ない若い世代が話題になっている。それも当然だろう。テレビは完全に時代の主役の座から降りた。
  この10年ほどのあいだ、私を担当してくれていた優秀な編集者が、配置替えになった。聞けばネットの世界で、新しい才能を発掘する部署に配置されたとのこと。
  メディアの世界の盛衰は人間から始まる。優秀な人間が去っていけば、その世界は衰退する。それは当然のことだ。
  メディアの優劣は、その機能ではない。それにたずさわる人間の能力と熱意の総和である。
  かつて「説教」という芸の世界があった。いわゆる「お説教」(小言)のたぐいではない。
  語りであり、歌曲であり、話芸であり、宗教的なプロパガンダでもあった。天台唱導の安居院流にはじまり、名手が輩出した。浪曲、講談、落語、などの源流であり、母胎でもあった。大正時代には浅草で芝居小屋を満員にする説教師がいた。
  表現の世界は千変万化する。時代とともに移り変っていく世界の、その一角に私たちはいる。
  (この項つづく)
 
連載11229回 「ボケの効用」について <4>
 
公開日:2021/09/30 17:00 更新日:2021/09/30 17:00
 
(昨日のつづき)
  私がいろいろ教えを受けた先輩がたの中で、これは多少ボケが入ってきたな、と感じる人は、ほとんどいない。
  かなり高齢のかたでも、喋ることはしっかりしていた。と、いうより、若い後輩をつかまえて色々しゃべる事に、ある種のボケ防止の意図があったのかもしれない。
  ある政治学者は、まるで大学での講義のようにヨーロッパ近代の政治思想について熱弁を振うのが常だった。喋らないとボケるのではないか、という不安がその先輩にはあったような気がする。
  こちらはそれをいいことに、タダでいろんな知識を吸収しようと懸命に聞き入ったものだった。
  たしかに喋ったり書いたりすることで、いわゆる脳トレにはなるだろう。しかし、そこから先はどうか。創造的な思想というか、一歩前進する知性は生まれてこないのかもしれない。
  つまり、それまで蓄積した知識は喪失こそしないだろうが、そこから先がないという残念な話である。
  ボケとは蓄積した記憶が少しずつ失われていくことではない。自己の知識を踏み台にして、さらに一歩を進める可能性を失うことだ。
  昔のことを正確に憶えていなくとも、一歩前へ出る発想を失わない限り、その人はボケてはいない。記憶の量ではなく直観力の鋭さが問題なのである。
  それを何と言うべきか。想像力といってしまえば、ありきたり過ぎる。閃めき、とでも名づけるべきだろうか。
  私が言いたいのは、ボケとは、記憶力の衰退ではない、ということだ。直感力といおうか、予測力と称するべきか、とにかく前へ進むドライブ力が失われたとき人はボケる。
  一般にいわれているところのボケは、問題にすることはない。感性の喪失こそがボケの本質ではあるまいか。
  知人の名前を思い出せなくなったくらいで、がっかりすることはないのである。記憶は人間の精神活動の一部に過ぎないからだ。
  どんなに正しいトレーニングを続けても、加齢による肉体の衰えを完全にカバーすることはできない。記憶や判断力も体力の一部である。しかし、精神力といおうか、思考する能力といおうか、そういう能力はそれとは別物だ。人が生きる、ということについての感覚はボケない、と私は思っている。ボケもまた人間の可能性の一つではないかと思う。
  (この項つづく)
 
連載11230回 「ボケの効用」について <5>
 
公開日:2021/10/01 17:00 更新日:2021/10/01 17:00
 
(昨日のつづき)
  昨日、89歳になった。奇しくも石原慎太郎氏と生年月日が一緒だから、彼も同じ年令に達したのだろう。
「97歳、なにがめでたい!」
  というのは、先輩、佐藤愛子さんのタンカだが、知人に「おめでとうございます」と言われると、いささか当惑するところがある。
  長く生きれば当然のことながら、体力、智力、そして気力も衰える。それは自然の理だが、人によってその度合いが異なるのは当り前だ。私の勝手な考えでは、欲望の強い人ほど衰える部分が少い。たとえば食欲の旺盛な人ほど体力が保たれる。好奇心の強い人はボケにくい。虚栄心の激しい人は元気だ、などなど。
  私の場合は記憶力の面で問題がある。たとえば1週間前に読んだ本のあらすじを、すぐに忘れてしまうのだ。
  昨夜、『小説すばる新人賞』の選評を書いたのだが、あらためて計1000枚以上の最終候補作品を徹夜で読み返すことになった。選考会の直後に、すぐ選評を書けば、こういう破目におちいることはないのだ。次回からはそうしよう、と毎回、心に誓いつつも、すぐ忘れてしまうのである。
  しかし、読んだ本のストーリーを忘れてしまうことの効用も、ないわけではない。
  私は眠る前に、催眠薬がわりに外国の国際ミステリーを読む。もっぱらル・カレやフォーサイスなどの文庫本だ。同じ作品を何度も読むことになるのだが、有難いのは、ほとんど前回に読んだ内容を忘れてしまっていることである。1カ月も過ぎれば、まったく新しい作品を読む感じで読めるのだ。これもボケの効用の一つかもしれない。
  昨夜、F・フォーサイスの『キル・リスト』(黒原敏行訳/角川文庫)をひさしぶりで読んだ。ほとんど忘れてしまっているので、新作を読む感じで読めたのは有難かった。
  この本は2014年に邦訳が単行本で出ている。いまから7年も前のことだ。その中に、こんな文章があった。
<(前略)そもそもタリバンをつくったのは(米)軍統合情報局なのだ。いつかアメリカ人が荷物をまとめて(アフガンから)出ていく日がくる。そのとき権力を握るのは<タリバン>かもしれない>
  フォーサイスには一度、会ったことがある。初期の『野性時代』のインターヴューだった。通訳を故・C・W・ニコルさんがつとめてくれたことを懐しく思い出す。
  (この項おわり)
 
 
 
  予定では癌とか狭心症に関する記事を添付するつもりでしたが、長すぎるので
今日は止めておきます。
 
 久々の発走となった中山競馬場でのG1レースであるスプリンターステークスはもう
買っていないので観ててもまったく面白くありませんでした。人気馬総崩れで競馬などは
やっぱりこんなものだと思わざるを得ません。
 フランスで行われた凱旋門賞ですが、日本馬の成績は7着・11着・14着と最低でした。
日本馬では世界に通用しないのでもう挑戦は止めるべきです。元々それほど強くない
馬が世界の果てまで輸送されて良い結果が出せるわけありません。
 それよりも昨日の中山競馬場ですが、当方の眼で見たところによると結構な観客が
入っています。もう緊急事態宣言も解除したことですし、早目の観客有競馬に戻して
欲しいものです。マスク着用を義務付ければ問題無しのはずです。
 
 という事で今日はここまでです。
 
 
  では、また明日・・・・・