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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1541 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年10月19日(火)、現在は朝の6時50分です。
寒い朝を迎えましたが、天気予報では今日はほゞ一日中雨マークが付いています。
それでも明日からの週間予報では雨マークは皆無ですので良い秋歓迎というところ
でしょうか!昨晩(早いうち)の13夜は見事なお月さんでした。明日の15夜はどうで
しょうか!?”!10月半ばですが、涼むしの鳴き声はまだ聞こえます。もう少し秋の
夜長を愉しみたいところでしょうか!
昨日はコロナ感染数を間違えて千件台にしてしまいましたが、勿論そんなに多くは
なく、感染数は千件以下ですのでご容赦ください!
昨日も都と大阪が同じ数字で29人と出て全国では232人だけです。暑かった真夏の
頃(まだ2カ月も経っていない)とは隔世の感があり、本当のところはどうなの???
と勘繰りたくなります。
昨日は当方の日々のセットメニューをほぼ熟した一日でした。
整形外科でのリハビリから始まり、”じゅんさい池1周ウォーキング”、《笑がおの湯》の他、
読書やPNC執筆、競馬研究など日々のやるべき予定のほぼすべてを熟しました。
本日は雨模様なのでウォーキングは休みますが、その他は励行する予定です。
やることを決めておかないと、巣篭りの”毎日が日曜日”人間が日々繰り返され、あっと
いう間に齢を重ね挙句の果ては老人性痴ほう症になり、外出すら儘ならぬ身となること
必至だからです。
現在はコロナが収まっていますが、このまま第6波がもし来なければあちこちを窺う
小さな旅でも始めようかと思案中です。やることは多いに越したことありません。
今日の添付もいつもの植草氏からです。 その他、心臓病の検査の件と帯津先生の
コラムを添付します。
「植草一秀の『知られざる真実』」
2021/10/18
コロナ謀略の真相を究明する
第3057号
『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
について「反ジャーナリスト」の高橋清隆氏が書評を掲載くださった。
高橋清隆氏はデイビッド・アイク氏の訳書を上梓されたばかり。
『答え 第1巻[コロナ詐欺編]』(ヒカルランド)
をすでに本ブログで紹介させていただいているが、アイク氏はコロナ陰謀論を
大々的に展開されている。
Amazonには上掲書について、つぎのように記述されている。
「全世界を巻き込んだ偽の新型コロナ大流行なるお祭り騒ぎは、全人類を10分
の1に減少させ、生存者は監視都市に収監するためのはかりごとだ。
本来の「無限で永遠で自由かつ全一」なるあなた自身を取り戻すしかない。
その解が、本書『答え』にある!」
ている。
そのことがアイク氏の主張に対する信認に影響を与えていると感じている。
アイク氏はイルミナティなどグローバルエリート達による秘密結社は、爬虫類
人(レプティリアン)と呼ばれる別次元から来た霊的生命体に支配、操作され
ているとしている。
ただし、同氏が提示する諸問題については注意を払う必要があると思う。
上掲書のご高読をお勧めする。
高橋清隆氏が掲載くださった書評を以下に一部転載させていただく。
【書評】『「なんでも官邸団」に成り下がった政財官を斬る! 出る杭の世直
カルト権力による謀略によって社会の表舞台から引きずり降ろされた4人の有
能な政治家・官僚・学者による対談をまとめた本。現下の日本社会の問題点を
挙げ、世直しの方策を提言する。
岐にわたる。各分野の第一線にいた4人だから、裏事情まで知り尽くしていて
説得力がある。ただし、新型コロナウイルスの脅威とCO2温暖化説を信じる立
場から書かれており、私の見解と前提を異にする。
しかし、財政問題を論じた第4章「日本の財政と経済政策」と教育政策を論じ
た第5章「変わりゆく教育」には、共感する部分が多々あった。特に経済論で
は植草氏の本領が発揮され、「財政規律そのものは軽視しない方がいい」との
立場を取りながらも、今回のコロナのように国民生活が打撃を受けるような局
面では「必要に応じて財政政策発動も選択すべし」との主張が展開されてい
る。
大規模な財政支出が可能だとする根拠は、政府のバランスシート(貸借対照
表)。日本政府の債務残高は1100兆円を超えていると言われ、財務省が発
表しているパンフレットでは592兆円の債務超過にあると説明されている。
一方、内閣府の発表資料では99兆円の資産超過になっている。
る道路や橋などの建造物の所有区分は、地方政府に入っている。「日本政府全
体の財務バランスは、国と地方を合わせて見なければ、本当のところが分から
ない」と説き、この隠蔽(いんぺい)を財務省による「偽装的な工作」と指弾
する。
教育論で前川氏は、多様性ある教育制度を提案する。小学校と中学校の不登校
は第2次安倍政権から増え続けており、2020年では20万人を超える勢
い。「学校で普通教育を受けることが適切でないと自ら判断する子供に対して
は、別の場で普通教育を受ける機会の確保を保障することが必要」と主張す
る。
植草氏もこれに同調し、「憲法が定める教育の義務とは、子女に普通教育を受
けさせる義務であって、子女に学校教育を受けさせる義務ではない」と指摘。
普通教育法を制定し、学校を受け皿の1つとして位置付けるべきとの考えを示
す。
第1章「新型コロナ対策は機能したのか」でも、注目すべき部分がある。植草
氏は菅政権のコロナ対策を「後手後手」「小出し」「右往左往」と不徹底ぶり
を批判しながらも、一方でジョンズ・ホプキンス大学などが2019年10月
に開催した「イベント201」やビル・ゲイツの「新ワクチンや保健医療、生
殖関連で十分な成果を収めれば、(世界人口の増加を)10~15%に抑える
ことができるかもしれない」発言を紹介する。
コロナ騒動について「その大きな目的がワクチンによって巨大な売上を確保す
るということがあっても、おかしくない」と述べ、計画的なものである可能性
を否定していない。
前川氏もGo Toキャンペーンが「感染を拡大したことは間違いない」としなが
らも、安倍元首相による全国一斉休校について「感染拡大阻止に効果がなかっ
たばかりか、的外れで非常に弊害が大きかった」と批判。「10代以下でコロ
ナによって亡くなった子供は、今のところ日本では変異株も含めて1人もいな
い。学校を閉じないと子供の健康や安全を守れなかったかというと、そんなこ
とは全くなかった」と両断している。
日本の主権者が政権交代の偉業を成し遂げた2009年の総選挙から同年9月
16日の鳩山政権誕生までの間、植草氏は身に覚えのない罪で東京拘置所に収
容されていた。「おわりに」で植草氏は、「私は選挙の日程に合わせて身柄を
拘束された」と政治謀略だったとの見方を示し、「鳩山氏に私信を繰り返し発
信した」と明かす。
さらに「私は人物破壊工作によって社会的生命に甚大な攻撃を受けたが、全て
の事案が正真正銘の冤罪(えんざい)事件である。真実は必ず明るみにしなけ
ればならないと考えている」と記す。私は2006年9月の「京急事件」から
同事件の取材を始め、裁判を全て傍聴した立場から、植草氏が無実であること
を知っている。
第6章「政治と行政の再建」の中でも、「いずれ政権刷新を実現した暁に真実
を明らかにしたい」と胸の内を吐露する。俗世の天国と地獄、権力の表裏を見
てきた植草氏には、三権分立が虚構であることが身をもって分かっているから
だろう。政権交代にかける並々ならぬ思いに心打たれる。
詳細は高橋氏のブログ記事をご高覧賜りたいが、高橋氏にはこの場をお借りし
て改めて深謝申し上げたい。
「出る杭は打たれる」と言うが、世の中を変えるには「打たれても出る杭」に
ならなければならないと感じる。
米国を支配する支配者がいる。
日本を支配する支配者がいる。
支配者の特徴は、刑事司法、メディアをコントロールして、人民をコントロー
ルすること。
とりわけ日本において、この傾向は顕著である。
支配者の目論見を看破し、本質に斬り込む、影響力のある者に対しては激しい
攻撃が展開される。
その結果として、いまの日本の言論空間には寒々しい空気が広がっている。
支配者の意向に沿う発言者には不当な利益が供与される。
権力の手先になって活動しようとする者だけが列をなす状況が生まれている。
とりわけテレビメディアにおける偏向は著しい。
逆に言えば、不自然な攻撃を受けることが「本物の証明」であると判断でき
る。
不自然な攻撃を受けている者を自分の目で見直すことが重要だ。
コロナについて私は強い疑いを持っている。
「コロナは存在しない」との主張を肯定する根拠を持ち合わせていないが、コ
ロナを「恐怖の感染症」と位置付けることに合理性はないと判断している。
日本におけるコロナ死者数は季節性インフルエンザとほぼ同水準。
私たちは季節性インフルエンザを「恐怖の感染症」と位置付けていない。
新型コロナの実情に合わせた対応を取っていれば大混乱を回避できたはず。
たはず。
また、感染症対策の基本は「検査と隔離」であって、検査を妨害し続けたこと
が日本のコロナ対応失敗の原点だった。
もちろん、国民全員に対して公費でワクチンを接種する理由も存在しない。
笑止千万であるのが「接種証明」。
接種を受けた人も感染するし、他者を感染させる。
そうであるなら、「接種証明」は「安全の証明」にならない。
接種後3ヵ月も経過すれば中和抗体も減少し、ワクチン接種の意味が著しく薄
れる。
「陰性証明」なら一定の意味があるが「接種証明」には意味がない。
「接種証明」は単なる「従順」の証明であって、呼称を「従順証明」に変える
べきだ。
岸田内閣は接種を受けた国民に対して財政上の利益を供与しようとしている。
これは国家の命令に従順な国民に対する恩恵付与ということになるが、この対
応は日本国憲法によって禁止されている。
ワクチン非接種者に対する不利益取扱いは憲法第14条違反である。
ワクチン接種後の急死者数、重篤化者数が異常に多い。
薬害の可能性が十分に考えられる。
厚労省は「薬害根絶の誓い」の原点に立ち返り、リスクの高いワクチン接種を
中断するべきだ。
「因果関係がある」と確認されるまで接種を続けるのではなく、「因果関係が
ない」と確認されるまで接種を中断するべきだ。
これが「薬害根絶の誓い」を立てた厚労省の取るべき行動。
厚労省が十分な治験結果を確認せずにワクチンを承認したこと、製薬メーカー
の損害賠償責任を免責にしていることが違法であるとの主張に合理性がある。
また、接種証明=ワクチンパスポートが基本的人権侵害であるとの主張も正当
だ。
現在、「反ワクチン訴訟」が提起されている。
この訴訟に対して全国民が注視する必要がある。
どう考えても今回のコロナ騒動は怪しいですね!?!第6波など消滅させて
実態解明に向かってほしいものです!どうせ悪者は米と中に決まっています。
21世紀の覇権争いの一環に間違い無しと思うしかないですから・・・・?
次に心臓病です。
なぜいま心臓病の検査が必要なのか? 早期発見・治療の重要性【心臓手術の名医が語るコロナ禍の治療最前線】
ニューハート・ワタナベ国際病院総長の渡辺剛氏(提供写真)
【心臓手術の名医が語るコロナ禍の治療最前線】#2
せっかく緊急事態宣言・まん延防止措置法等が解除されたのに病院で検診なんてまっぴら。そんな時間があれば久しく会っていなかった家族や仲間との時間を持ちたい。そんな中高年も多いだろう。しかし、この先、健康で楽しい時間を過ごしたければ心臓検診のために時間を割くことだ。心臓病の早期発見・治療の大切さをニューハート・ワタナベ国際病院総長に聞いた。
「心臓病は早期発見・早期治療できれば、軽症なら手術なしで症状を抑えられますし、それより悪くても手術で治せます。たとえば、静かにしていると何ともありませんが、一定のレベル以上体を動かすと痛みなど自覚症状が出る『労作性狭心症』という病気があります。この病気は検査をしないとわかりづらく、そのままにしておくと徐々に心臓の血管が狭くなり、休んでいても痛みの出る安静時狭心症へと進行します。そして最終的に心筋梗塞になってしまうのです。狭心症の段階なら手術しなくても済んだのに、見逃したばかりに心筋梗塞の手術が必要になるケースが少なくありません」
中には手術はできても心臓の筋肉である心筋が死んでしまい、手術後に期待通りの働きがなく、亡くなるケースもあるというから恐ろしい。
「このように受診のタイミングを失うと突然死につながったり、心機能が一部停止の状態で生涯を過ごさざるを得ず、生活の質が大幅に低下する場合もあるのです」
■症状がないから病気じゃないは間違い
若いころは心臓病など無縁と思う人も多い。しかし、心臓は1日約10万回、一生のうちに40億回以上拍動する。高齢になると誰でも心臓の機能は低下するし、障害も出やすくなる。「心臓弁」もそのひとつだ。4つに分かれた心臓の部屋を区切り血液の逆流を防ぐなどの役割を持つ。そこに異常が生じるのが心臓弁膜症だ。
「心臓弁膜症の場合も、心機能に問題がなく、弁の状態がそれほど悪くなければ、手術できれいに早く治る。放っておくと弁自体の機能が悪くなり、手術も複雑になる。手術は適応となれば早くやればやるほどそうしたデメリットがなくなります」
大動脈瘤も検査でしかわからない心臓に関連した病気だ。
「心臓から全身に血液を送る動脈の一部がこぶのように膨らんだ状態を『大動脈瘤』と言います。こぶは、内膜、中膜、外膜の3種類で構成される血管の壁が裂けてそこに血液が流れ込んでできたりします。その原因は不明ですが、肥満や高血圧、糖尿病などと関連しているとも言われています。こぶができても痛くもかゆくもありません。大きくなって神経や他の臓器を圧迫すると自覚症状が出ることはありますが、そのこぶが破裂すると、痛みとショックで死に至ることもあります。だからこそ、大動脈瘤も早期発見と観察が必要です。経過観察している人にとって受診控えは非常に危険です」
いま心臓血管の検診が必要なのは、こうしたリスクのある人だけではない。会社の健康診断や区の健診を受けていても、一定の年齢になったら脳と共に血管や心臓は専門病院でドックを受けた方がいいと渡辺総長は言う。
「先述したように心臓に関連した病気は軽症では症状がなく、自覚したときには重症化していることが多い。ですから早期発見には検査が必要なのですが、一般内科医が行う健康診断では難しい部分もあります。心臓を専門に診ている医師ならばX線写真に映る心臓の形や心電図のちょっとした波形の異常がわかるし、超音波検査で構造上の心臓の病気もわかる。聴診器で得られた血流の雑音から弁膜症疑いも診断できます。ですから60歳を越えたら、脳、心臓、血管は専門病院でドックを受けられた方がいいと思います」
■通信機器を使って遠隔アドバイスも可能に
最近では、手近な通信機器で心臓の動きを見守ることができるようになっている。こうしたデバイスを活用するのもいい。
「たとえば、当院の無料ネット外来で、Apple Watch(アップルウォッチ)の心電図Appで記録されたデータの受付をしています。送っていただいた心電図のPDFファイルデータについて相談することができます。心臓は循環器内科で検査してもらい、異常があれば半年くらいのペースで診てもらうといいでしょう。中でも家族に心臓病の人がいる人、コレステロール、高血圧、糖尿病、尿酸値が高い人、ストレスが強い人、太っている人、たばこを吸っている人、睡眠時に息が止まっていたりいびきがひどいなど睡眠時無呼吸症候群の疑いがある人は、異常がなくても定期的に心臓を専門医に診てもらうべきだと思います」
ちなみに心臓や循環器の状態を知るための一般的な検査は次の通り。
●心電図検査:心臓の電気的活動をグラフで記録。その波形から心臓病の種類と異常の程度を推測。
●胸部X線検査:X線撮影し、心臓の大きさや形などの異常を観察。
●運動負荷心電図:階段の上り下りなど心臓に負担がかかった状態での心電図。狭心症診断に有効。
●心臓超音波検査:心臓の動きや血流などから正常か否かを診断。
●脈波伝播速度(PWV):手と足への脈波の伝わり方を、動脈硬化の程度として数値で表したもの。血管の早期障害を調べる。
●足関節上腕血圧比(ABI):下肢動脈狭窄や閉塞の程度を表す指標。寝た状態で両腕、両足首の血圧を測定すると、足首の方がやや高い値になる。しかし、血管が詰まり気味になると、その部分の血圧は低くなる。足首の血圧と腕の血圧の比を求めれば血管の動脈硬化を知ることができる。
●血管エコー:頸動脈、腎動脈、四肢動脈の狭窄の有無の検査。
一般的な検査で異常が見つかれば、以下の精密検査を受けることになる。
●冠動脈造影検査:カテーテルで造影剤を注入し、冠動脈の狭窄・閉塞の有無・程度を調査。
●心臓大血管CT検査:マルチスライスCT・造影剤を用いて血管を撮影し、その結果をコンピュータ処理し、狭窄血管部分を立体的3Dに再構築することで、狭窄部の情報をより正確に把握。
●冠動脈CT検査:静脈から造影剤を注入し、冠動脈を撮影しコンピュータで3D画像を作成。
(渡辺剛/心臓血管外科医)
最後に帯津良一先生のコラムからです。
全力投球して「がん手術」の限界に気づく 帯津医師「再発率は変わらない」〈週刊朝日〉
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「ゆずれないこと」。
【手術】ポイント
(1)生きていく上でゆずれないことは、ほとんどない
(2)でも手術には、決してゆずれないこだわりがあった
(3)手術に対し全力投球だったからこそ、限界を知った
生きていく上でゆずれないことは、ほとんどないのではないかと思っています。ですから私は、大抵のことは「まあ、いいか」ですませてしまうのです。都立駒込病院に勤務した頃は、看護師さんたちに「仏のおびっちゃん」と呼ばれていました。文句を言うことがほとんどないからです。
でも、こういう私にも決してゆずることのできないこだわりがありました。それは手術に対してです。ひと様の身体にメスを入れるのです。最小の侵襲にして、最大の効果をあげなければいけません。手術については、毎回、妥協なく真剣に立ち向かっていました。
まず前日に必ず解剖の教科書を開きます。すでに自家薬籠中のものになっているのですが、念には念を入れるのです。そして、その日の晩酌は自宅ですませ、午後10時に就寝。翌日は午前6時に家を出て、病院の近くの食堂で軽く朝食をとってから、午前7時半に病院に入ります。
そのまま病棟に直行して受け持ちの患者さんの状態を把握した後、手術を受ける患者さんに会って「心配はいりません。すべてうまくいきます」と元気づけます。そして患者さんより早く手術室の控室に入り、ベストコンディションに自分自身を持っていくのです。
手術では、切除範囲が適正であることはもちろん、加えて時間を短くすること、出血量を少なくすることに鋭意努力しました。でも私が専門としていた食道がんは、胸、腹、頸部を切開する大手術なので、術後はかならず集中治療室(ICU)に入ることになりました。
当時の都立駒込病院のICUは最新鋭の機器がそろっていた上に、スタッフが優秀で、日本一だと言われていました。患者さんの状態が落ち着くと、近くの居酒屋で夕食をすませ、再び病院に戻り、ICUの当直室に宿泊。翌朝は14階の医局から、まだ明けきれない下町を俯瞰して患者さんの快癒を祈ったものです。
この手術日の行動は判で押したように同じでした。ここだけは、自分のこだわりを押し通したかったのです。決してゆずることのできない全力投球の時間でした。その頃のことを思い出すと、杜牧の詩にある「清風故人来る」の心境になります。昔の自分がよみがえってきて清々しい気持ちになるのです。
そんなに手術に対して全力投球だったのに、その後私は手術に対し限界を感じるようになります。いや全力投球だったからこそ、限界を知ったのです。外科技術を進歩させることで、手術時間が短くなり、出血量も少なくなり、術後の合併症も減ったのに、がんの再発率は変わらないのです。いくら手術を完璧にやっても、患者さんを救えないのでは意味がありません。それに気づいてから、私のがんとの闘いは新しいステージに入りました。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2021年10月22日号
以上、長くなったので量子物理学は先送ります。
では、また明日・・・・・